El Capitan でFORTRAN環境を作るため最新のgccを入れた

MacPortsgccを入れる。

gccのサイト
http://gcc.gnu.org/wiki/GFortranBinaries#MacOS
を見ると、El Capitanにはgfortran 5.2だという。MacPortsGCCを入れればgfortranも入るっぽいことが書いてあるように見える。

これはMacPortsで扱えるのか?ということでMacPortsのサイトでGCCパッケージを探してみる。
https://www.macports.org/ports.php?by=name&substr=gcc

すると、今日現在、(β版ではgcc6が出ているが)最新版はgcc5(gcc5 5.3.0)のようである。

そこで、ターミナルでportsを探す。

$ port search gcc5
gcc5 @5.3.0 (lang)
    The GNU compiler collection

mpich-devel-gcc5 @3.2_3 (science, parallel, net)
    Message Passing Interface (MPI) Library

mpich-gcc5 @3.2_3 (science, parallel, net)
    Message Passing Interface (MPI) Library

openmpi-devel-gcc5 @1.10.99_36275 (science, parallel, net)
    A High Performance Message Passing Library

openmpi-gcc5 @1.10.2 (science, parallel, net)
    A High Performance Message Passing Library

Found 5 ports.

あったあった。たぶん1つめのやつでいいんだろう。

でも元々gccって入ってるように見えるんだよなぁ…

$ gcc --version
Configured with: --prefix=/Applications/Xcode.app/Contents/Developer/usr --with-gxx-include-dir=/usr/include/c++/4.2.1
Apple LLVM version 7.3.0 (clang-703.0.29)
Target: x86_64-apple-darwin15.4.0
Thread model: posix
InstalledDir: /Applications/Xcode.app/Contents/Developer/Toolchains/XcodeDefault.xctoolchain/usr/bin

まぁ、gcc5を入れてみよう

20分くらいかかっていろいろ入った模様。最後に気になるコメントが表示されたのでメモ。

To make this the default Python or Python 2 (i.e., the version run by the 'python' or 'python2' commands), run one or both of:

    sudo port select --set python python27
    sudo port select --set python2 python27

さてgfortranは入ったのか?gfとだけ打ってtabキーを押すと

$ gfortran-mp-5

と補完された。ナンダコレハ

とりあえずhelloworld.f95が置いてあるデスクトップに移ってこれでコンパイルを試みる

$ gfortran-mp-5 helloworld.f95 
$ a.out
-bash: a.out: command not found

あっ

$ ./a.out
 hello, world.

通った!!

「カシオペア」という名の曲

僕が幼少の頃、おそらく小学3〜4年生の頃だったんじゃないかと思うが、「クイズ地球まるかじり」という番組があった。この番組に限らず、当時のクイズ番組の回答者席は今のように「電子化」あるいは「電化」されておらず、回答は「フリップ」と呼ばれる板にペンで書き、スタンドに立てて示すのが主流だった。出題VTRが流れた後、司会者が「ではお書き下さい、どうぞ!」などとコールすると、「シンキング・タイム」などと呼ばれる時間が(放送上は)5〜10秒ほどあって、その間に回答をフリップに書くわけだ。その「考える時間」には、効果音的な感じで、ちょっとしたBGMが流れるのが常だった。この番組でも御多分に洩れず、そういう流れだった。

ある日、実兄(特徴:9歳上)の部屋に遊びにいったところ、「おい、これ聴いてみぃ、あの番組のアレや」とカセットテープ(!!)をかけてくれた。そこから流れた音楽は、ま・さ・し・く、あの番組の、あの「考える時間」のBGMだった!!

手の届かない遠い世界と思っていたTVの、アレが、今、目の前で流れている! ……大興奮の僕に向かって、やや得意気に兄はこう続けた:カシオペアって言うんや」と。

僕の脳裏にはずっとそれが記憶されていたらしいが、その記憶は、収納されていただけで、しばらく、表に出てくることはなかった。

中学2年の頃、もうサックスを吹き始めて半年ほど経っていたが、ふとそんなブラスバンドの友人たちと音楽談義、というか世間話をしていた時に、インストゥルメンタルの話になったんだと思う。そして、ふと「あの番組のアレ」を思い出して、僕はその話をしながら、トランペッターの友人に言った:「あの番組の考える時間のBGMは『カシオペア』という曲名で…」

今にして思えばアホらしい間違い……「カシオペア」は曲名ではなくバンド名である……だったわけだが、これがその後の音楽人生を決定づけたのだから、わからないものだ。

その数日後だったと思うが、その友人は「このバンドかな?」と僕に1枚のCDを貸した。T-SQUAREというバンドの "WAVE" というアルバムだった。残念ながら「カシオペア」なる名前の曲は収録されてはいなかった(当たり前だw)が、中学2年生の僕はこのアルバムに完全にノックアウトされたのだった*1。ただでさえ、聴こえて来るサウンドは、それまで出会ったことのないシャープでカラフルなものだった上に、僕がその半年ほど前に吹き始めたアルトサックスが入っていたのである*2。それからというもの、近所のTSUTAYA等のレンタルCD屋に通い詰めては、片っ端からスクエアのアルバムを借りていった。もちろん、インストもののアルバムがそうそう揃っているはずもなく、あちこちのレンタルCD屋を渡り歩いた。どうしても手に入らないアルバムは、なけなしの小遣いをはたいて買った。初めて買ったCDがスクエア(当時はザ・スクエアの "S・P・O・R・T・S"というアルバムだったのはよく覚えている。名曲「宝島」が収録されているアルバムだ。

その後、当時発売されていたスクエアのアルバムをコンプリートしようかという頃には、自然な流れで「カシオペア」という名称が曲ではなくバンド名であることに気付いていて、カシオペアのアルバムも順次入手していくことになる。

そして……高校1年ぐらいだっただろうか。ついに、カシオペア "DOWN UPBEAT" なるアルバムで、あの曲に再会を果たす。曲名は "Road Rhythm" だったのだが*3、この頃には、既に目的はこの曲を探すことではなく、純粋にインストゥルメンタルもの……特にこの手の曲は「フュージョン」と呼ばれる……のファンとして、コレクター的な意味で、入手すること自体、全ての曲を聴き込んでいくこと自体が、目的になっていたのは、容易に想像できるだろう。国内外のジャズ・フュージョンのアルバムを次から次へと(お小遣いの許す範囲で)入手していった。
当時、モーツァルトだか誰だかの何かの数百周年だかなんだかがきっかけだったような気がするが、1,000円くらいのクラシックの安いコンピレーションCDがあちこちで大量にワゴン販売され始めた頃で、それに合わせてジャズ名盤・名演のコンピレーションCDがたくさん投げ売りされていた。これは当時の僕にはありがたかった。ジャズサックスの名演にたくさん出会うことができた。*4

部活はブラバン、吹いている楽器はアルトサックス。スクエアのコピーに走らないわけがない。知り合いの仕事の手伝いで頂戴したお金と貯金をはたいて当時YAMAHAで発売されていたウィンドシンセ "WX11" を購入し、高校2年の文化祭ではコピーバンドもどきもやったものだ*5。大学に進んでもずっとブラバン的な練習の傍ら、ジャズ・フュージョンのコピーや練習をしていた。ムチャぶり大魔王な先輩に焚き付けられて、アドリブで演奏することもできるようになっていった。友人たちとジャズ・ファンクなセッションをしたりしたものだ。そして、それが今に続いているからこそ、時折行われる、上司からのムチャぶりセッションで(半泣きで)何かそれらしいことをごにょごにょ吹いているわけだ。

こうして僕はジャズ・フュージョンバカになった。ひょっとするとあの時、「カシオペア」がバンド名であるという「正しい認識」をしていたなら、サックスが入っているスクエアに出会うことはなかったかもしれないし、従ってCDを集めまくってジャズ・フュージョンにはまることもなく、特技にサックスは入らなかったかもしれない。もしそうなっていたら、間違いなく、僕は今の職場にはいなかっただろう。

本当に、何が人生を決めるかわからないものだ。

*1:今聴いてもこれは傑作アルバムだと思う。

*2:しかも、当時の教本には出てこない謎の高音(笑)も出てくる!当時、この「フラジオ」なんてテクニックが存在するとは想像もしなかったので、「この高音が出るということは、見たことないけどソプラノサックスとかいう楽器ではないか?」などと真剣に考えたものだった(^_^;

*3:この「カシオペア」ならぬ、"Road Rhythm" という曲は、実は今でもTVで聴くことができる。というか、おそらく全国でもかなり多くの方々、少なくとも関西人の全員が知っている!……あの「探偵!ナイトスクープ」の、探偵VTRが終わって映像がスタジオに帰って来る寸前の「チャッチャッチャッ!」っていう効果音みたいなやつがそれである。作曲者の向谷実氏がこの事実を居酒屋で知りびっくりして中継してるYouTube動画があるので、心当たりの向きはぜひ動画を見て「あーっ!アレや!!」と思って頂きたい。さらに、なんと「クイズ地球まるかじり」は探せばYouTubeで見つかる。この動画の14:50から始まる「考える時間」の曲をよく聴くと、この曲 "Road Rhythm" の冒頭のフレーズと、最後のフレーズが切り貼りされていることがわかる。

*4:この流れで、やはり実兄が「サックスの有名なチャーリーパーカーはあだ名がbirdで、そのパーカーにちなんで名付けられた名門ライブハウス "Birdland" のステージに立つ喜びを歌ったのがこれだ」とか何とかウンチクを傾けつつ紹介した "Birdland" という名曲があり、それがThe Manhattan Transferがグラミーを取ったカバー版だったのだが、そうこうしているうちに出会ったのが同曲オリジナルの発表されたWeather Reportの大名盤 "Heavy Weather" で、ここで出会ったJaco Pastoriusの衝撃は今の趣味のベースに結びつく。そしてこの大名盤で蘇った名曲・名演 "Birdland" の記憶はさらにThe Manhattan Transferの大名盤 "Extensions" との再会に結びつく。この曲も僕のルーツの一つだ。

*5:あの時は別々の「バンドやりたいけど人数足らん友達グループ」が寄り集まってできたバンドで、ビートルズ "Back in the U.S.S.R." やユニコーン「働く男」もやった。スクエア曲は確か"Faces"と"Shadow"をやったはずだ。

本年度の大学祭マジックショーの出演記録

先日の大学祭で、2年ぶりに、マジック部屋に出演させて頂いたので記録。
教室の椅子と机を全て一旦とっぱらった上で、最前方には黒テーブルクロスをかけマットを置いた長机を置き、そこを眺められるようパイプ椅子を数個ずつ取り巻くように(お客様の入り数に応じて増減させながら)並べたもの。少なければクロースアップ、多ければサロン、といったような距離感になるセッティング。

その場に待機しているOBと顧問の僕を含めたマジシャンが、いらっしゃったお客様に、1人10-15分ずつのショーを交代で演じ、マジシャンが一巡したら入れ替えをコールする(入退室は自由にしてもらう)、というようなゆるい「マジック部屋」。

1日目はサロンというにはちょっと少ないか、どうか、というところ。ショータイムが2回巡ってきたが、その2回目だけ、昨年からずっと練習していたJazz Aces→Last Trick→Resetの手順をついに実演にかけてみた以外は、全て非クロースアップな演目でまとめた。特に2日目は全ての機会で20人近いお客様だった。

演目は以下のものから1〜2つ省いて組み立てた。

EZ Spell (ゆうきとも)

1日目のオープナーとして。ただし、なんだかうまく機能しない感触がしたので2日目はやらなかった。うまく機能しなかった理由は、たぶん、久しぶりのショーで、空気感を作るのがヘッポコだったせいだと思う。

カラーチェンジングCD

2日目のオープナー。トリックス大阪店頭で大昔に教えてもらった、「シルクを通すと色が変わるレコード」のCD版のセットで(シルクなしで)演じる手順。ショーを始める前に、この後もマジックショーを見ていられるかどうかのテスト、という体裁で演じた。ただし、色盲色弱の方々への配慮をして、そのような方々がいらっしゃったら次の演目に切り替えるつもりでの台詞回し(そのようなお客様はいらっしゃらなかったが)

Mental Photo Deck (R. W. Hull)

手品界の裏事情「印刷」のストーリーでとして、テンヨーの網田さんに教わったハンドリング、「ちょび」スティック付きで。

しあわせの書 (泡坂妻夫

読み取るテレパシーとして。友人・S水さんに教わったハンドリング。本当に素晴らしい作品。

Invisible Deck (J. Berg)

指示するテレパシーとして。上記『しあわせの書』に続けるストーリー。立てて演じるほうのハンドリング。

Odd Ball 2 (Marc Oberon)

マリックさんがTVで似た現象を演じていた時の、二重盲検法の条件下でのチャレンジとしての演出で。

McCombical Deck (B. McComb)

ジャンボカード版。ふじい師がTVで演じてたハンドリングにしたかったのだが、アレが劣化しててギリギリの状況(^_^; それでもなんとかなってしまう「パワー」が、この作品の名作たるゆえんなんだろうなぁ。

ポケットリング(ふつうの4本) or ラージリング(5本)

僕なりの手順。ショーのオチをつける演目として。

以下、全体的なメモ。

「超スプーン曲げ」とここ数年で決まってきたワンコインルーティーンをどこかで1回やったような気がする。また、最後のリングは1度だけ「大・中・小のどれがいいですか?」と振ってからやってみた(つまりラージリング・ポケットリング・タイニーリングのどれかを演じる、ということ)が、そりゃふつう「大」って言うよな、と直後に理解したので以後やめた。

バキバキのスライハンド派を自覚しているのだが、このサロンな距離感でレギュラーサイズのデックやコインを演じ切れる気がしなかったので、こういうメンタル的な演目になった。スライハンドが混じるとメンタル情感が台無し、とよく言うけれど、まぁ、メンタルを演じたとしてもメンタルなんだかどうかわかんないような清濁併せ呑んだような感じで最近やっているので、気にせず演じた。

単3乾電池でふじい師ほかのリンキング・シガレットをやりたかったが、直前にやってみて手が動かなかったので今年はやめた。

mMLでゆうきとも師がブックテストを演じているような2段のパフォーマンスを、『しあわせの書』を組み込んでやりたいとここ数年来ばくぜんと思っているのだが、うまく組み立てられないままだ。

他のOBマジシャンで、DarylのAcrobatic Knotを演じているのを見て、こういう距離感だとロープいいなぁ、3本ロープ覚えてみようかなぁ、と思った。

また、そういう距離感であって、かつ、たまたま通りがかってしまった手品にさほど興味のない方々でもそれなりに食いつきやすい演目として、サイドウォーク・シャッフル的なものを覚えたいなぁ、と思った。なんだかんだ言ってもギャンブル要素があると双方ともに盛り上がりやすいものだろうから。

不惑を迎えました

不惑と申しますと、「もう40にもなったら惑わずどーんと構えて」みたいなことが言われたりします。

が、僕にはそれは単なる開き直り、向上心の欠落、反省能力の喪失、のように思えます。

僕の稼業は惑星です。言わば、星々の間を惑い続けることを運命付けられた星の下に生まれてきたわけです。

40を機に、「これからも、自らを修正し続け、あるべき姿を求めて惑い続ける」ことについて、惑わずに生きていこうという思いを新たにしました。

今後とも宜しくお願いします。

教養は絶望の向こうに ——科学コミュニケーションの現場から——

我が社の教養教育を司る機関として「教養の森」センターという組織がある。そこで年報を出すことになり、僕もメンバーの一人としてエッセイ的な駄文を書いた。ということで、ここで先行公開する。

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西アフリカのエボラ出血熱最新情報

西アフリカのエボラ出血熱流行について、WHOが「新規の陽性確定の感染者数が昨年6月末以来初めて、1週間単位で100人を割り、対策が完全終息を目指す段階に入った」と発表(1/29)し、またそれを受けて米軍の大半が引き上げると発表(2/11)されるなど、「騒ぎ」が終息に向かいそうなニュースが出ている。

エボラ熱の新規陽性、1週間に100人割る:朝日新聞デジタル
西アフリカ派遣の米兵、大半が撤収へ エボラ熱収束受け:朝日新聞デジタル

確かに累計感染者数・死者数が指数関数的に激増していた状況はだいぶマシになっていて、以前のように片対数グラフで描いてしまうと、よく見ないと、増加していないようにさえ見えるようになってきている(本当は、後述するように、僕個人としては「危機的状況はまだ続いている」と考えたほうが良いとは思うけれども)

ちなみに普通のグラフで描けばこうなる。昨秋が悪夢のような状況だったことがよくわかる。最近は増加が緩やかになってきていることもわかるけれど詳しいことはこれでは読み取りにくい。

どちらにせよ、現状の増加状況を見るためには「累計」ではないデータの方が良かろう、と考え、新規感染者・死者の1日当たりの増加数(つまり増加率)をプロットしてみた。

1日に150〜200人ずつ患者が増え100人ずつ死んでいく悪夢のような状況に比べれば、だいぶ増加率が下がったことがよくわかる。現地に入って活動してくれた人々のおかげである。
が、それでも、いまだに、1日当たり50人超の新規患者数が発生し、1日当たり25人超が亡くなっている。これはやはりまだまだ相当に危険な状況だと、僕は思う。「なーんだ、アメリカ帰っちゃうんだから、エボラもう大したことないんだね」なんて状況では全くない。
ただし、同じくWHOの発表(2/5)では、

 WHOのエボラ出血熱対策特別代表にも就任したエイルワード事務局長補は5日夕の記者会見で、リベリアで全ての新規感染者が、これまでの追跡調査結果をまとめた「接触者リスト」から確認されたほか、他の2国でも多くが接触者リストから確認されるようになっていると指摘。「全ての新規感染者が接触者リストに含まれるようになれば、ほぼ制御した状態になる」と述べた。
(出典:エボラ熱の死者、西アフリカで9千人超える WHO発表:朝日新聞デジタル

つまり、新規の患者のほとんどは、既知の罹患者の「接触者」として把握されている人々から出ている(=「接触者リスト」の範囲内である=想定の範囲内)とのこと。

米軍撤退と関係なく、「制御」が進むことを願うばかりである。

「景気」が見えた

ゼミ生の卒論第2ラウンドで、静岡県沼津市を採り上げてる学生と徳島県徳島市を採り上げている学生がいるんだけど、ネタ(=援護射撃)になるかもしれないと思い、両市の地方税収の推移を見てみた。
すると、推移パターンが激似だったので驚いた。もちろん両市の間に何か経済的な因果関係があるわけなくて、要するにこれが「景気」というものなのだろうけど、こうやって目に見えると新鮮。

(出典:総務省・市町村別決算状況調の都市別>(2)歳入内訳)