San Francisco 4日目

よく考えると日記の日付がおかしい。こっちは12月16日が終わるところなのでそのつもりで書いてるのだが、まぁ日本時間で運営してるウェブ日記だから仕方が無い。
そろそろ「お前はグルメツアーでサンフランシスコに来たのか」という声が聞こえてきそうだが、そんなことはない。というかむしろそうしたいのはやまやまであるがそうもいかない。単に、アメリカに来てまでマクドSubway、あるいはセブンイレブンで済ませたくはないだけの話。
ところでイタリア料理を「イタめし」などと呼ぶようにアメリカ料理を呼ぼうとすると「アメめし」。なんか言いにくいんで略すと「あめし」、ってなんか「あべし」みたいだ。伊料理みたいに漢字で書いてやると「米料理」になってすごく和風だ。
それはさておき。
今朝はぎりぎりになってしまい結局朝食はパス。昼食は学会会場にあるランチ販売コーナーに行く。豪快なアメリカンばっかり食って胃が疲れてるような気がするのでサラダで済まそうと思ったのだが、サラダでさえスーパーサイズミー。とりあえずブルーチーズを山盛りにするのはやめてほしい。ブルーチーズは洋風サラダには入ってることがあるが、パルメザンチーズのようになんとなく混ざってるからおいしいのである。チーズでも侘び寂びがあるということに気付かせてくれるサンフランシスコである。
前々から知ってはいたが、全てがでかい。ただ今回気付いたのは、単に食いもんがでかいよねーというだけではなくて、「でかいほうを基準に設計されたシステムである」ということだ。小さいので構わないよという人は、例えば食事なら残せばいいじゃないか、全然誰も気にしないよ、というわけだ。実際、多くの人が結構食べ残している。オレより大きな外人でも、だ(ここではオレが外人なのだが)。そしてどうやら、食事に限らず、社会のシステム自体がそうなのだ。日本のように、「食べたい人はおかわり」とか「お金がある人はオプションをつけて」とかいうふうに、小さい方、少ない方、貧乏な方を基準にしてそこから積み上げていく発想ではない。「もったいない」が国際的に注目されたことがあったが、なるほど、である。こんなシステムで成り立っている社会がCO2削減なんてできるわけがない。京都議定書を批准しなかったのも道理である。世界最高峰の地球の研究者が結集する場でこれなのだから。
午後は特に行くつもりのセッションは無いのでどこか行きたい。が、仕事が溜まっている‥‥。