「ギミックコイン報道の裁判で敗訴の件」についてのニュースの件

みんな分かってない。
ギミックコイン製作で逮捕者が出た事件を伝える番組でタネ明かしが行われたことについての裁判で、「報道目的ならOK」という判決が出た‥‥という今回のニュース。この件を、手品やらない人がどう思ってるのかなぁ、と思って、ブログやらそれらに付いたコメントを眺めてみた。
わかったこと。
このニュースについて何か言ってる人のほとんどが手品人であることは置いといて(笑)、みんな論点が分かってないなー、ということ。一般的なタネ明かしの是非は原告の「裏の目的」であって、論点はそこじゃない。ましてや「せっかく買ったのに損した」なんてのは裁判にするための方便でしかない。

拾い読みしてみると分かるが、この判決を伝えるニュース記事がそもそも問題なんだなー、ということに気付く。ニュース記事が敢えて伏せていることがあるのだ。つまり、「報道目的のためにギミックを放送に乗せることはOK」とは、そもそも原告が言ってることなのだ。(→原告最終準備書面
本来、原告の主張、訴訟の争点はそこではないのだ。「タネ明かしが全部ダメ」ではなくて、「不必要なタネ明かしがダメ」と言っていたのだ。そして、それについての判決文であるからして、その論点についての記述があっただろうことは想像に難くない。なのに、今回の判決を紹介してる記事では、この論点については省略され、あたかも「タネ明かしはニュースだから全部OK」という判決であるかのような記述になっている。論点のすり替え、マスメディアによる情報操作の典型ではなかろうか(スポーツ報知の記事なんて本当にひどくて、もはや何のニュースかわからない)。

まぁ、マスメディアに自分の過ちを認めることができるようなら、そもそもメディアリテラシーが必要だなどと騒ぐ必要もないわけだから。

‥‥などと思ってしまうのは、オレが新米メディア論研究者だからかもしれない。

ちなみに敗訴判決そのものについては、まぁ、仕方ないかもね、というのが実感。なぜなら、本件のキモは、要するに、マスメディアの「体質」「性格」なわけで、言ってみれば、(基本的人権云々とは関係なく)法という「仕組み」あるいは「枠組み」で人の性格を判定できますか、ということと同じように、それは法律を判定基準にするのは無理でしょう、と思われるからだ。法律の専門家じゃないんで、これは勝手な「感想」。

控訴するらしい。はじめに述べたような「論点」は、かなりはっきりしていることが原告最終準備書面のはじめのほうをちらっと見るだけでもわかる。勝訴のためには何ができるか、ということでいえば、上で述べた「単なる方便」であるところの、「損した」という賠償請求の目的を見直した方が良いのではないか、という気がする。あくまでも、裁判というものは、相手に対して要求している「行動」の是非を問うものだからだ。でもそれを変更することは、もはや別の訴訟になってしまうので、無理か。

ともかく、マスメディア嫌いの手品人としては、タネ明かし報道云々抜きに(笑)、原告団、特に小野さんにはもう一度がんばってほしい、一発でいいからパンチを当ててほしい、と思う。