『問題』の問題

メディア・リテラシーの含む概念は幅広いが、特に、報道系のTV番組や新聞記事などに接する際に最も重要なことは何だろうか。根拠の信頼性やレポーターの立場あるいは素養を見抜く力、あるいは数字に関する感覚(必要な数字は提示されているか、そしてその数字に意味はあるか、など)も大切かもしれない。しかし、オレが最も重要だと思っている「技術」は、「問題」という単語に疑いを持つこと、である。

サブプライム問題、ロス疑惑問題、円高問題、プロ野球の問題、幸田発言問題、北朝鮮問題、小桜セレナ巨乳無罪問題、角界の問題、次期日銀総裁問題、「問題」と速くタイプしようとするとすぐ「モンヂア」となってしまう問題、などなど、枚挙に暇が無いが、これらのうち、本当に「問題」と呼べるのはいったいどれだろう?彼/彼女らが「問題」と呼ぶコンテンツは、「事件」「案件」あるいは「事故」、場合によっては「出来事」「話題」と呼ぶ方が相応しいことがほとんどではなかろうか?

つまり、最初から「問題」など存在しないのではないか?という疑いを持つこと、これが本当に大切なことではないだろうか。

「問題」という単語を被せることによって「問題」を創作し、それを「問題だー!」と叫ぶことで大衆感情を煽り、煽られた大衆が「問題」のウエイトを上げ、こうなると大手を振って「問題」扱いでニュースを飾って行き、ますます論点の分からないまま「問題」意識だけがエスカレートして行く。扇情による問題の捏造のスパイラルの問題である。

ここでオレが問題提起していることにだってもちろん疑いの目を持たなければならない。本当の狙いは何なのか?「そういえばこのDrMagicMusic940って人、そろそろ研究室の引っ越ししないといけないんじゃないの?」という点に気付いたあなたは鋭い。本当の問題は、こうやって現実逃避している横や後ろにのさばっている有象無象の処理なのであり、そして明日中に荷物を完全にまとめきらなければならないというモンヂアなのである。ぃゃそれにしてもこの荷物、ホントに明日中に全部まとまったらこう言おう‥‥「どんなもんだい!」