ジオパーク公開審査セッションが見てられない

日本地球惑星科学連合2014年大会@パシフィコ横浜に参加しているのだが、どうも昨日のジオパーク公開審査セッションの状況について「傷のなめ合い」‥‥つまり「発表、良かったですね」と仲間内でお互いに言い合う気持ち悪い状態‥‥をする人々が多いようで、頭に来たので、思いっきり毒を吐く、というか噴射する。

数年前にジオパークセッションを初めて見に行って衝撃を受けたのが、あのゾロゾロと何をしたいのかよくわからない集団を引き連れてのみっともないプレゼン。どんなふうにみっともないかというと、日本ジオパークネットワークの公式Twitterアカウント(@OfficialJGN)の写真を見てみるといい。角度が悪く見えにくいのだが、いくつかのプレゼンで、プレゼンテーターの後ろに法被を着たり「◯◯をジオパークに!」とか何とか書かれた幟を持ったり編み笠かぶったりした謎の集団を引き連れてるのが見えると思う(去年はメイドコスプレもいた)。あれをみっともないとか「うわぁ‥‥」と思えない人々がお客様を呼ぼうとしていることに衝撃を受けた。内容やプレゼンテーションそのものでアピールできないことを自白しているようなものだ。そもそも応援団が必要なプレゼンテーターなんて人前に出しちゃダメだろう。それとも「手作り感を出せて良い」とでも言うのだろうか。それこそジオパークを「カネのかからない地域振興策」としか思っていない証拠だろう。実際、カネのかからない地域振興としか思ってない発表が急増しているように見える。

本来、世界遺産と違って、ジオパークは経済活動つまり「商売」を主眼にした「活動」ということになっている。そうでなければジオパークガイドラインが掲げるような「持続可能な」活動にはなり得ない。しかし黒幕がユネスコであることもあってか、そこには教育に携わる人々のエゴが渦巻いている。ありていに言えば、「学ぶ楽しみ」が存在する(これは確かに存在する。そうでなければ私も学者(=「学ぶ者」)になったりしない)のをいいことに、教育者の「学ばせる楽しみ」を満たそうというエゴだ。「学ぶ」楽しみがあるからといって他人が「学ばなければならない」という理由にはならない。それがジオパークを考えた学者たちにはわからない。なぜなら、ジオパークを考えた学者たちにとってジオパークは「これが実現すれば自分たちのやってきたことが人々に理解される」という夢の世界、悲願だからだ。

話を戻すと、「商売」なのだから、お客様のニーズを満たす商品を売らなければならないことは明々白々、議論するまでもない。しかるに見られよ、あのプレゼンたちを‥‥全てのプレゼンを見たわけではないが、管見の限り、「世の中のニーズがこうだからジオサイトをこう作りました」などといった顧客視点のプレゼンは一つもない。提供者側の都合や勝手な思い込みで「良いもの」「価値のあるもの」を作ればそれだけでお客様がつく、などというのはナイーブにもほどがあるだろう。世の中の全ての商品は、その作り手は「良いもの」だと信じて送り出されているが、実際にヒットする商品は一握りだ。シャッター通りでいくら「良いこと」をしてもお客様はそんなものには目もくれずみなAEONなどの郊外型巨大ショッピングモールに行くのである。そして「手に取ってさえくれれば/一度来てくれさえすれば良さが分かるのに」と全ての商品の作り手は思っている。

基本的にはジオパークはお客様に来てもらうこと、即ち観光旅行に来てもらうことを前提にしているから「旅行商品」(のコンテンツ)を作ることが中心になる。商品だから市場がどうなっているか、ニーズはどうなっているか、お客様はどう思っているのかを入念に調査することが必要だ。そしてその基盤の上にこそ商品開発が行われるのだ。市場の把握にせよ商品プロデュースにせよ、その道のプロが存在するほど重要で専門的なことなのだ。それらの工程にお金をつぎ込んでこそ、まともな商業活動だと言えるだろう。だから「カネのかからない振興策」など笑止千万で、本来ジオパークはお金のかかる活動なのだ。プロでも何でもない自治体や科学者が「手作り」などヘソが茶を沸かし過ぎて空焚きする(商売をする一般市民が「手作り」するならまだ理解できなくもないが、それでも‥‥)

戻って、各地のジオパーク推進者がそういう発想にならないのはなぜかというと、まず、自治(行政)の得意技である目的と手段の入れ替わり‥‥ジオパークは地域振興の「手段」であるはずなのにジオパーク認定を受けること自体が目標になってしまう‥‥がありる。そしてその(間違った)目的のため、審査に通ることが至上命題になる。だから公開審査プレゼンや申請書およびその準備は、JGNの審査員にウケることに最適化される。その結果があの「地質バンザイ」の、顧客視点ゼロの「わが町自慢」プレゼンなのだ。単純化して言えば、あの茶番セッションが通用するのは、あれをJGNが求めているからだ。お客様を無視して「これすごいだろー」と自慢話ばっかりしてるんだからジオパークが流行らないのは当然だ。ジオパークが流行らないのはJGNの審査員にビジネスの人間がいないからだ。

(※ここで「ジオパークが流行ってないことはないよ、盛り上がってるよ」なんて言わないでもらいたい。「ジオパークが盛り上がってきてる」とジオパーク関係者は<ジオパーク関係者同士では>言い合うが、一歩「外」に出れば世間の誰もジオパークなんて単語を口にしないことはみんなわかってるはずだ。実際、この大会に来た地球惑星科学周辺の研究者ですら、ジオパークを知っている人は少ないだろう)

科学的内容の正しさの検証についてはその専門家としての科学者が必要だが、ジオパークという「事業」ないし「商業活動」を科学者が審査するのはおかしいということに一刻も早く気付くことが第一歩だろう。お客様に「学ばせる」のが成立するのは進学塾と資格と英会話ぐらいだ。その意味で、「学ぶジオツアー」はダメだったけど「楽しいジオツアー」に切り替えたらお客様が来るようになった、という男鹿半島・大潟ジオパークのポスター発表があったが、こういう発表が出るようなら、少しは未来があるのかな、とも思える。

とにかく、

  1. 公開審査を学術審査と事業計画審査の2つに分けること
  2. 審査員を(地質学者・地理学者だけでなく)地球惑星科学全般や科学コミュニケーション等の専門家も含めた科学者と、経営コンサルやマーケター、プロデューサーなどビジネス界の人間を(同じ比率で)含めて構成すること

この2つが僕の提案だ。こんな当たり前のことを言わなければならないこと自体が異常だと思うが‥‥

とりあえず、公開審査セッションの登壇者を1人に限ることから始めてはどうだろうか。