そうだ、室戸、行こう(2日目)

2日目、2/23(日)である。朝ごはんも美味しかった。

10時過ぎからジオガイドツアー開始。おっちゃんジオガイド。もちろん僕はジオツーリズム研究をしている惑星科学者なんて言わずに一般人として(笑)。まぁ、地質も鉱物も植物も宗教も文化も歴史も専門じゃないから、まともに語られてもわからんので、ちょうどいい。

室戸岬から太平洋を遠く見通している中岡慎太郎像からスタート。台座の斑糲岩を確認。ツアー開始早々に岩石の名前とか性質とかどうでもいいよ勘弁してくれよと思ったのだが、これがその後の展開にとっては意外に重要だった。展望台へ上がった。桂由美認定の「恋人の聖地」だったぜよ(笑)。ちなみに、北東からの風が吹いていたのだが、この風のせいで、岬の東側の海面は、波は静かではなかったのに対して、岬の西側、つまり土佐湾側は岬で波が止まり、静かになっていた。よーく見ると、岬から湾内へ回り込む回折波が見えてて胸熱だったが黙っていた(^_^;

浜に出て、室戸岬名物の砂泥互層、タービダイトの解説を頂く。解説は、なんと言うか、こちらも一般人のふりはしているけど中身は惑星科学者だから一応タービダイトぐらいは知っているので、ちょっとハラハラしながら聞いていたが、努力の跡を思わせる語りだった。僕たち科学者は、原理の部分が理解できれば個別の知識はその「幹」に「枝葉」をくっつけていくようなものだから楽なんだけど、科学的訓練を受けていない人にとっては、おそらく、個別の知識はお互いにつながらない断片だろうから、一つ一つ覚えていかなければならないだろう。さぞ大変だろうと思う。勉強しはったんやろなぁ。

遊歩道は、おそらく国定公園に指定されたときにでも作ってあったのだろう。舗装し直している最中らしい。遊歩道沿いに「あこう」の木、竜舌蘭、崖に見える天狗岩、斑糲岩体としての烏帽子岩、ヤッコカンザシの巣の跡とそこからわかる巨大地震の痕跡(隆起)などなど。それにしてもこの地でもこれでもかと空海伝説www行水した池の岸壁で背中こすったから岸壁がえぐれたとか杖で突きまくったから無数の穴(タフォニ)が開いたとかwwwほとんど「全盛期のイチロー伝説」のノリやんwww

空海が「空海」と名乗る前に修行したと場所とされる御厨人窟(みくろど)。波食台を前にした海食崖に開いた海食洞である。中に籠って修行してたそうな。で、中から外を見ると、洞穴の入り口から見えるのは、空と海。そこから「空海」と名乗ることにしたんだとか。

天気が良くて、なかなかいい散歩になった。戻ってくる道すがら、ちょっとおっちゃんガイドさんにインタビュー。ガイド始めて2年余だそうだ。ジオガイドツアーがあることのPRが不足していると感じているらしく、観光客が風景「だけ」を見てさっさと帰ってしまうのが「もったいない」と嘆いていた。確かにガイドさんに言われないとなかなか気付きにくいものが多いし、立て札を見る・読むだけよりも充実するので、もっと利用してもらう工夫はした方が良いのだろう。ただ、同時にガイドが淘汰されていくことも必要だとも思う(おっちゃんが淘汰されるべきという意味ではないが)

室戸ジオパークインフォメーションセンターに戻り、おっちゃんジオガイドの車に乗っけてもらって北上し、途中の道の駅とろむ到着。しらすかつおたたき・乙女マグロの「三色丼」をチョイス。舌鼓を打っていて、ふとポッケに棒状のものが入っていることに気付く。あ。‥‥宿の部屋の鍵だ‥‥。

どうやって室戸荘に戻るか検討する。しかし情報がない。そこにあった何枚ものパンフレットをよーく見て、情報とも言えないヒントをつなぎ合わせ、iPhoneYahoo!路線検索を駆使するしかない。基本的に車での移動を想定しているせいか、唯一の公共交通機関であるバスによる移動も非常に不便。特にバス停の場所が全然わからない。各サイトや施設の最寄りのバス停がわからないし、めったに来ないそのバスの時刻表の情報が全くない。

ということで、食後、もう一度バスで室戸荘へ戻って鍵を返却。せっかく戻ったので、浜に出てしばらく海を眺める。岩場にちょっとした「いわや」になっているところを見つけたので、そこに座り込んでMacBook Air2号機を取り出して原稿の仕事をする(「窟」になってないと風が直撃して寒いし、風下側だと日なた過ぎて画面が見えない)。なかなかいい気分。原稿執筆も進まず、だんだんぽかぽかしてきたので、ごろっと横になり、20分ほどうたた寝した。

バスで「室戸」停留所に移動。室津というエリアだ。「津」というのは港を意味するので、「室の港」という意味なのだろう(「室戸」という地名も、そもそもこの辺りを指す言葉が「室」で、その「戸」だから「室戸」なのだろう)津照寺というお遍路さんポイントのそばに、今夜の宿(もちろん民宿である)をなんとか発見。空港で予約するとき、地図を見ながら「これは厳しい戦いになるな‥‥(ゴクリ」と予想したのだが、確かに地図通りに民宿が点在する、微妙に立体的に道の入り組んだ、外部から来る人にとってはわかりにくい区画だった。というか、室戸ジオパーク室戸市観光協会のWebサイトでは室戸の宿泊施設が紹介されているのだけど、「楽天トラベル」などではほとんどヒットしない。宿をチョイスするために必要な情報が足りない。「厳しい戦い」とは、そういうニュアンスだ。昔と違って、きょうび、ネットに情報が出ないのは存在しないのと同じ。実際、バスで室戸岬に向かう車窓からは、ネットでは見かけなかった民宿がちらほら見られた。

まだちょっと時間があると思ったので、こんもりした小山の上の津照寺を見学。‥‥しようと思ったのだが、本堂の(屋根の)立て替え工事中で階段に入れず(笑)。仕方なく小山の周囲を散策。すると、その小山の裏手というか横手の斜面に沿って階段が。おや?と思って上がっていくと、津照寺のすぐ隣に並んで鎮座している「一木神社」の小さな境内にたどり着いた。もうちょっと侵入すれば本堂に入れてしまうように見えたがやめといた。熊野の研究(というよりも勉強、かな)を始めた目から見れば、やっぱりお寺と神社が並んでるのが日本らしいよなぁ、と思った。実際、この一木神社の鳥居のすぐ横にある石碑には、寄付をした人々の氏名が刻まれていた。つまり、ここは漁の安全祈願をする場所で、それはお寺もセットで考えられていたはずだ。寺の名前が「津照寺」つまり「港を照らす」のだから。元々のご神体はおそらく、港と土佐湾を見おろすこの小山そのものだったに違いない。

境内からの眺めはなかなかのものだった。

宿に着くと、若女将さんが出迎えてくれた。建物は純和風で趣のある、しかしとても入り組んだつくりのものだった。残念ながら無線LANはなかった(もちろん想定の範囲内。宿泊客は僕一人だった。室戸荘に比べると稼働率はあまり高くないのか、むしろ室戸荘よりも美しく清潔に整えられているのだけれど、なんとなく、設備や備品に「生気」が感じられないような気がした。夕食は美味だったが、どちらかというと名産というよりもあったか家庭料理的なものだった。まぁ、漁港の目の前とは言え、前日予約の宿泊客一人じゃ鮮魚をがしがし仕入れるわけにはいかんわな。建物の趣やサービスは悪くないので、ネットに必要な情報が出さえすればもっとお客さんが来るはず。まぁ、春になって暖かくなりお遍路さんが増えてくるとまた違うのかもしれない。

尋ねられなかったので酒類は飲まず、ノンアルコールで部屋に引きこもって原稿と戦った。うっかりしていたのだが、民宿ではさっさとお風呂に入らなくてはいけない。お風呂は追い炊きするようにはできていないものだからだ(こういう感じの宿の風呂はたいていそうだと思う)。まぁ、昔ながらの農山漁村の生活パターン、すなわち、日が暮れたら仕事を終え、風呂に入り、早々に(TVを見ながら)夕食を済ませ、早寝早起き、という習慣というか感覚が残っているのだろうし、そういう「未都市化エリア」だからこそジオパークを町おこしのツールとして推進したくなるのだろう。僕らのように宿の部屋に引っ込んでから深夜まで仕事、なんてのは想定されていないのかもしれない。