蔵出しネタをいくつか
以下、ネタ帳の底のほうに埋もれたネタをいくつか。
- 「無知の知」こないだ長男の幼稚園の卒業文集に寄せたことばではあるけれど…
ソクラテスの「無知の知」は、常に戒めるべきことだよな。
本来の「ソクラテスの無知の知」は別のところに争点があったようだけれども、今の僕たちにとって役立つエッセンスは別にあるだろうさ。
堆積岩の固さは年代が古くなると固くなる。人間と一緒で古くなると固くなる。
コード進行は魔法のように、美しい進行を、曲を、創り出せてしまう。その中を、あなたはどう駆け抜けますか?というのがジャズのアドリブの1つの大きな主題。何をやっているのかわからない原因は、この「お題」を知らないからだと思う。「ああ、そういうことやってんだ」と思えば、いろいろ聞こえてくるはず。
本、特に小説を読み始める時、いつも、読みにくく感じる。つっかえて、つんのめって、三頁ほど読めたら、慣れてきて、あとはスーッと読める。それが文体ってやつなんだろう。
Christopher Crossの"Arthur's theme"を正当に評価できる心があれば、円弘志の『夢想花』を正当に評価できると思う。(注:これ、ネタ帳に書いてあったんだけど、自分でも何を言っているのかよくわからない)
たぶん、「いま俺をなぐさめるための5分」は、「明日、俺が死にたくなるぐらい欲しい1時間」と等価なのだろうなと思う。
なぜこんなにプロジェクト・マネジメントにこだわるかというと、それが、自分自身の暮らしぶり、すなわち「セルフ・マネジメント」と直結、いや、もっと言えば、やることは同一だと思うからだ。
「理不尽な組織にもてあそばれる優秀な人材の魂の叫びにこそ真理がある」と僕は思う。
社会に出たことのない僕が「仕事」について語る資格はないよね、って言ったら、旧友がこんなことを言って全俺を泣かせた。
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んなこたあない。社会人として勤めたことがある、だけの人間はそれに値しない。社会に学生を送り出すにあたり社会を「想定」できるかどうか、が肝なのだと(勝手に)思う。教員がすべての職業を経験するなんて土台無理なんやから。教員しか経験していないが、影響を受けた先生の存在がわしらの記憶にあるやんか。