節電ではなく『人間圏の方向転換』が必要

基本的態度として、僕は「じゃああなたの家の庭に原発つくって下さい」というような感情的・短絡的な喧嘩をふっかけてくる人物は、本稿は対象としていないことを最初に言っておく(実際にそう言われたことがある)
極論に聞こえるかもしれないが、あながち極論でもないと考えていることをまず言おう。
チェルノブイリと同じ事故、あるいは「廉価版」の福島第一原発事故、あるいは凶悪なことをあえて言えば原水爆も含めて、それらが今から20-30個ぐらい同時に起こったって、おそらく(人はいっぱい死ぬかもしれないが)人類は滅びない。それぐらい地球はデカイのである。*1だが、化石燃料が底をつき、エネルギー需要を支えられなくなれば、(今の文明社会が前提の)人類は滅ぶのは殆ど自明である。その意味で、(世の中では「想定外は許されない」と訳知り顔で言う人がいるが)本当に「想定」すべきは「100年以内に化石燃料が底をつく」ことではないかと考えている。これに関しては、少なくともホモ・サピエンスにとっては、「想定外は許されない」と言えるだろう。

だからと言って「原発を推進すべきだ!」とも言えない。「現在の原子力エネルギーの利用形態」である原発*2は、「事故率が少ない」ことを安全と言うならそこそこのものだと言えるが、事故ったときの影響の側面では、危ないもんは危ないのであるし、何より、そんなこと言ったらいまの世の中では食っていけないので、自分はもとより家族を養わねばならない僕には絶対に言えない(笑)。むしろ、今「この夏をどう乗り切るか」的なコンテキストで言われるような綱渡り的なエネルギー供給の増強の議論とは切り離して、文明社会全体の純然たるエネルギー需要の抑制‥‥需要そのものの低減‥‥が必要なのではないだろうか。しきりに節電が謳われているが、それは本質的なエネルギー需要は何も変わってないわけで、一過性の「我慢」でしかない。そんなのは10年も持たないだろう*3

だからと言って、そういう社会の低エネルギー化を実現するような技術革新がすんなり進むのかというと、まぁそんなことはなかなか起こらないだろう。

理由はこうだ。

「科学的にこれが正解と言っても世間が動く理由にはならない」ということは、福島第一原発事故で立証された。ましてや「社会全体のエネルギー需要の低減」なんて、科学的とも言い切れない話である。だから、世の中がもしエネルギー需要低減化に動くとすれば、科学的正解とは無関係なモチベーションがある場合‥‥即ち、企業にとっての経済効果が有意に効いてくる場合だけだと、僕は考えている。というのも、この件を具体的に実現する「ジャンル」は科学というより技術、テクノロジーの範疇だが、これには企業の役割が大きい。もちろんエネルギー需要の割合も、である。

ではそのようなテクノロジーの開発・進歩は、どのようになされるのかというと、いわゆる学問をやる機関・組織だけでは「技術」の革新はそうそう進むものではない*4。企業との連携、「産学連携」というやつが絶対に必要である。なぜなら、僕の見るところ、テクノロジーの進歩は、ニーズがあってこそであるのはもちろんだが、ニーズがあったときに、それを解決しようとするプロジェクトにどれだけカネが落ちるか、が極めて大きいからである。それを決定するのは学問的ニーズではなく、産業界のニーズなのだ。

そんな「企業にとって低エネルギー化が経済的に吉と出る」ような状態になるのは、右肩上がりの発想だけで数万年暮らしてきた人類には、ありそうもない話じゃないだろうか?

以上のぐだぐだ話を一言にまとめると、こうなる;「エネルギー需要低減が儲け話につながらなければ、人類は滅ぶ」‥‥エネルギーを使って「拡大」することで繁栄してきた人間圏の方向転換が迫られているのが今なのである。さて、ホモ・サピエンス、どうなるでしょうかねぇ。

*1:その点だけを注目すれば、苦し紛れに海に放った汚染水は、フェンスで止めるのではなくどんどん太平洋にかき混ぜて薄めるべきだったとも言える。濃度こそ漏れた放射性物質の危険性を左右する最大のファクターだ。

*2:将来的に別の形で原子力エネルギーを有効利用できるようになることは、期待したい。エネルギーに善も悪もないのだ。

*3:個人的には3ヶ月も持たない、つまり今夏には冷房パニックが起こると、直感的に思っている‥‥人間はすぐに忘れる生き物であり、自分以外のことなんて考えない生き物だ

*4:一般化・規格化によって実用化され量産化されることが必要だから