想定外が許されないのは誰か

此松昌彦, 「東日本大震災からの教訓 -「想定」を超えた行動ができるような防災訓練を!」, NEWSきのくに, vol.13, No.1, 2011より。

今回の地震で「想定外」という言葉をよく耳にします。どのように考えますか。研究者レベルでは、今回の津波に近いものが約千年前に発生していたことは明らかになっており、警告していたのです。そこでは「想定内」ですが、残念ながらまだ国の委員会等で議論されて国の「想定」までにはなっていませんでした。このようなことから将来的には、皆さんの地域の津波ハザードマップ地震の揺れマップは現在より大きな「想定」のもとで変更される可能性があります。強く言いたいことは、ハザードマップはあるマグニチュードの設定値を入れた結果であって、実際にハザードマップのようになりますよと保証したものではありません。実際にはある「想定」を超えた大きなマグニチュードが発生する可能性もあるのです。今回の大きな教訓は、ハザードマップで「想定」されている範囲で満足するのではなく、それ以上の津波が来襲した場合まで「想定」して欲しいのです。

耐震策・津波対策・原発事故など、東日本大震災関連の全てのジャンルで、「想定外は許されない」というフレーズをよく見聞きするが、僕は、根本的に無責任な発言だと考えている。「お前それ意味分かって言ってんの?」と突っ込みたくなることがよくある。
ことあるごとに話していることだが、「こういうことも起こり得る」あるいは「いやいやもっととんでもないことが起こるんじゃないか」、ひどい時には「人類には想像もつかないようなことが起こるに違いない」などと「想定」することはとても簡単なことで、そんなことなら小学生でも言える。しかし、行動計画や施策、施設やインフラ等を具体的に「設計」する時には、無限に広がる「想定」をどこかで打ち切り、「ここまでなら対応できるライン=これ以上は対応できないライン」を引かなければならない。時間も資金もマンパワーも、全てのリソースは有限なのである。その「設計上の想定の外」が許されないのであれば、何も設計できない。全ての建物、いや全ての土地は居住不可能となり、月面にでも行ってもらうしかない。モノであれコトであれ、何かをデザインする時には、夢物語ではダメなのだ。ホントにできるかどうか、それを「フィージビリティ(feasibility)」と呼ぶが、このfeasibilityを考えていない点で、無責任なのである。
しかし、制度や施設の「設計上の想定」を超えることもありえるのだと、我々が「想定」することは可能である。誤解を恐れずに言えば、想定外が許されないのは設計ではなく我々のほうなのだ。このとても重要なことを、上の文章は平易に説明しているので、紹介してみた。