確率・統計入門(小針晛宏)

確率・統計入門

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  • 著者:小針 晛宏(コハリ アキヒロ)
  • 単行本: 300ページ
  • 出版社: 岩波書店 (1973/5/31)
  • 言語 日本語
  • ISBN-10: 9784000051576
  • ISBN-13: 978-4000051576
  • 発売日: 1973/5/31


本書は大学初年次のための数学の教科書である。教養科目程度のレベルとしているが、刊行当時と今では大学生のやるべきレベル・内容が変わっているので、今なら「理系学部の2〜3回生用の参考書」であろうか。いわば専門書である。
今回の「書評」は、専門書としての書評を書くつもりではない。僕はこれを「本」として「読もう」あるいは「読み下そう」と思った。そしてそう思ったのはなぜかというと、非常に「異色」だからだ。同じジャンルの本はあるが、「類書」と呼べる本が見当たらないのである。

まず、序文は日本を代表する数学者であり著者の親友の広中平祐、あとがきは著者の親友の数学者4名。なぜ本人が書かないか?‥‥著者は、どうすれば数学を、確率・統計を伝えられるだろうかと苦悶しながら大学で講義を続けていた。その講義ノートを元に本書の執筆に取りかかり、数年かけてとりあえず脱稿したのだが、直後、不測の事態‥‥事故なのか病なのかは本書からはわからないが‥‥により、この世を去った。その遺稿を、親友達が整理整頓し、本書を世に出したのである。序文・あとがきは、親友達の追悼のことばなのだ。それを踏まえて読むと、普段なら感じない(感じようとしない)数学が、何とも味わい深い。

いやいや、いくらそんな事情があるからって、数学書に「味わい」なんてあるのか?‥‥本書で著者・小針は、それに果敢にチャレンジしているのである。そこが最大の「異色」であり「出色」であろう。最近亡くなった(そして本書の「整理整頓」役の一人だった)森毅の軽妙なトークを聞いたことがある人も多いだろう。あのノリなのである。京都大学の持つ雰囲気、風土を色濃く反映している。‥‥というか、こんな感じのしゃべりの先生、実際おったおった(笑)。

例えば、第1章は、確率とはなんぞや的な話から始まる。それ自体はありふれている。何言ってんのかわかんない定義が書いてあって何が言いたいのかわからん論理が延々続き、読んでいてもどこへ向かうのかさっぱりわからないのが普通だが、本書はこうだ。少々長いが引用する。


(俺注:コイントスの表裏の確率について)もう一度言うと‘表が出る確率はいくらですか’という問いに‘1/2です’と答えてはいけないのであって、‘そんなことは、わからないので1/2としましょう。そう仮定すると実験とよく合うようです’と言うべきなのである。つまり、仮定=出発点 を 答=終着駅 かのように思うのは、誤解なのだ。金貨投げに限らず、確率論というと、先験的絶対的な確率というものが、どこかの宇宙空間にフワフワ浮いていて、それを探究する学問であるかのように誤解している人が、世間にはまだ多いと思うが、少なくともこの本の読者は、その迷妄から脱してほしい。(中略)

《真理》などというものは、言語の上だけでしか存在しない。何を仮定すれば何が結論されるか、その論理の連鎖が数学なのであって、どの仮定が真理への道か、などというせんさくは不毛な論議しかもたらさないだろう。
(中略)
金貨を投げるとき、表の出る確率は(中略)6/13と仮定しても、もちろん構わない。それで宇宙の大法則に背いているわけではない。なぜなら、宇宙の大法則というものは存在しないのだから。どうしても承知しない人があったら、6/13になるようないびつな金貨を造って見せればいい。

‥‥うーん、これだけじゃ伝わらないだろうなぁ(^^;
単に「面白い」見た目、「読み易い」文章の「入門書」は(今は)掃いて捨てるほどある。本書でも確かに、例題や各章末の練習問題に、酔っぱらいがバーを出てからふらふらした挙げ句もう一度バーに戻ってしまう場合の飲み代・ドブにハマった場合の洗濯代・犬に噛まれた場合の治療代等を考慮してその晩の出費の期待値を求めよ、だとか、「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」を確率論的に説明せよだとか、キャンペーン開始後3日で夜逃げした保険会社が儲かった確率やその会社を詐欺で訴えた場合の判決を予想せよだとか、大学の期末試験問題/レポートさながらの問題(実際そうだったのだろう)が連発しているが、ポイントは、それらの問題にもびっくりするほど詳しい解説があること。つまり、単にウケ狙いでやってるのではなくて、その中に潜む本質を伝えたい著者の熱い思いが込められているのである。文字通り、数学を「語って」いる‥‥数学は「語れる」ものなのだということを、僕は本書で初めて知った。

序文で広中平祐が、著者の思いを代弁しようと、以下のように述べている。


‘頭がよいから数学に強い’とか‘彼の数学ができるのは頭がよいからだ’といった、日本の特に受験生、大学の初年学生に往々にしてみられる偏見を彼は憎んだ。数学は面白く学べる筈だと彼は信じていた。その方法をさぐって、彼はあがきもした。
数学は、特にそういう「偏見」が出やすい学問分野であろう。そして、他の学問‥‥例えば科学‥‥でも、同じ根っこの「偏見」があるだろうことは想像に難くない。僕も、学問(あるいは科学)は「面白く学べる筈だ」と信じている。その方法をさぐって、僕もあがこうと思う。