性悪説

「しょうわるせつ」ではない。
子育てとか人付き合いとか、「ひと」が絡む話題になると、どうも皆さんと話が噛み合わない。単に、社会に出た経験が無くて「対人経験不足」であるとか、論理が極端だとか、そういう問題ではなくて、もっと根本的に何かが違うなぁ、と薄々感じていたのだが、1つの仮説を思いついた。
たぶん、俺の発想の根本が、かなり「性悪説」寄りで、それに対して、周りの皆さんは多分に「性善説」的なんじゃないか、ということだ。
違うかな?
例えば、「こどもは、悪ガキであろうと根は素直でいい子ばかりだ」と言う方々が多いのに対し、俺は「油断するとこどもはすぐクソガキになる」と思ってしまう。人付き合いでも割とそういうことを言ってるような気がする‥‥自分の言動は自分では判定できないのであくまでも「推測」だが。
↑というふうに、「自分の言動は自分で判断できないものだ」と言ってるのがもう既に性悪説だよな(笑)
あるいは、ひょっとすると、俺が「自信」に対して慎重なのは、そのせいかもしれない。そもそも自分は根本的にダメである(=性悪説)から、それをどうにかして正常化できたり、あわよくば標準以上になれたら「自信」を持ってもいいかもしれないが、とてもそうは(俺自身は)思えない。自信を持って行動することを是とし「そうしよう!」という人は多いが、それが実際にできるのはおそらく性善説に立っているからではないだろうか。
いや、別にどっちがいいという話ではないんだが。