「障害」の意味/視覚&全身性障害者のガイドヘルパー資格取得

正確には大阪府の定める研修を終えた、ということなので、気分的には「資格取得」というより「研修修了」なんだけど、修了しなきゃやっちゃダメなので一応「資格」と言っておく。
単純に説明すると、車椅子の人や視覚障害の人を「外にお連れする」ことができる資格。ホームヘルパーが居宅の介護であるのに対して、「外出の移動の介助」を目的としている。
よめさんが障害者関係の仕事を歴任している姿をそばで見ていて、いろいろ思うこともあり、勉強のため(&将来的に学生指導をするための理由付けとしての「箔」をつけるため)に、資格取得を思い立った(というかよめさんに勧められた)のだが、たくさんの資格のうち現実的に本務に支障が出さずに取れそうなのがこれら2つだった、というわけ。
もちろん、障害者さん(ヘルパーにとっては「利用者」さん)は一人一人事情が違うので、実地で経験を積まねば意味ないよ、と言われればそれまでなのだが、しかし直接に現場に携わっていくわけじゃないので、そこは勘弁して頂きたいとしか言えない。ただ、そういう研修すら受けずに知ったような口を利くのと、少なくともこの程度の研修は受けましたという上で知ったような口を利くのとでは、なんぼか違うと思ってもらえるんじゃないか、とは言える‥‥んじゃないかな?ダメかな?
座学・実習ともに、受講していて、いろいろ思うところはあった。
視覚障害ガイドヘルパーと全身性障害者ガイドヘルパーで、「気を使う」その気の使い方で最も異なるのは、全身性の場合、本人は目前のバリアが見えている(ことが多い)ので、ヘルパーとしてはバリアを「いま」「一緒に」考えることが可能なことが多いのに対して、視覚障害者は見えていないので、「あらかじめ」バリアを発見し、利用者さんに「予告」しなければいけない、ということだ。
あと、講習中にそう言われたわけじゃないが、ハッと思い至ったことがあった。それは「障害」という言葉の意味だ。
例えば聴覚障害であれば、耳が聞こえないことが「障害」と思われている。しかし、よく考えると、そうじゃないんだよね。
耳が聞こえないことは「性質」であって、その「耳が聞こえない性質」を持つ人々にとっては、世の中が「障害」になってしまう、ということなんじゃないのか。
つまり、その人が「障害」を持っているのではなくて、世の中の方が「障害」なのだ。この辺りのことは、英語で言えば分かりやすい。「障害者」は handicapped や challenged (受動態なのは、運命or神から「乗り越えてみろ!」と「挑まれて」いるから)であり、「何かの機能がうまくいってないこと」は disorder (注文通りになってない)または defect (欠点、欠如)であり、「障害」は barrier (バリア)とか obstacle (障害物)である。そう考えれば、というか、そう考えなくては、(バリアフリーではなくて)本当のユニバーサル・デザインは生まれないんじゃないのか?

そう考えると、大阪府で「『障害者』と表記すると『害』みたいだから『障がい者』と書くことにした」っていうのは全く的外れだな、と思えてくる。