文学部唯野教授(筒井康隆)

文学部唯野教授 (岩波現代文庫―文芸)
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  • 著者: 筒井康隆
  • 文庫: 373ページ
  • 出版社: 岩波書店 (2000/01)
  • ISBN-10: 4006020015
  • ISBN-13: 978-4006020019
  • 発売日: 2000/01
  • おすすめ度: ★★★★★


朝日新聞に連載(注:オンライン版だけかも知れない)されていた筒井康隆書評欄「漂流 本から本へ」で、イーグルトンの「文学とは何か」が取り上げられていた。そんな本は当然(?)知らないわけだが、この書評中で「この本がきっかけで『文学部唯野教授』を書くことになった」と筒井氏が述懐しているのがとても気になった。折しも、人文・社会学の人々の営みを学ぶために社会思想史を(俺なりに)勉強している真っ最中である。本屋に走った。

「筒井始まったな」2ちゃんねるならそう書かれるかもしれないぶっとび加減にくらくらしつつ読み進める。最初の方は、ちょっとしたサスペンス的な、これから何かが起こりそうな、何かの伏線でもありそうな、変な緊迫感があるようなないような、そんな感じだったのだが、それは冒頭数ページの話。さっそく例の「悪ノリ」が始まる。唯野教授の日常風景として描かれる「大学という世界」の、何と言うか、「幼稚の極致としての醜悪」「社会的汚物としての大学教授たちの織りなす非人間模様」は、あくまでもパロディであるからして、賢明なる読者諸兄姉にあってはくれぐれも鵜呑みになさらぬようご注意願いたい。いや、でも割と‥‥(※以下自主規制)

出版社による紹介文にも書いてあるので遠慮なく説明すると、唯野教授は大学にナイショで、ペンネームを使って正体を隠しつつ実験的小説を書いている小説家でもある。そのことを巡る醜悪な大学社会パロディストーリーは強烈で(筒井的な意味で)大爆笑なのだが、それはいわば小説としてのバイプレイである。本編は、唯野教授が「授業中に」その饒舌で繰り広げる文学理論、文学批評理論の展開の解説である。文学(批評)論をそのまま書くのは気が引けたのだろうか?よくわからないが、筒井氏による文学(批評)論レビューを、あくまでも「小説」という体裁にカモフラージュするための大学「闇ストーリー」であろう。

で、その本編たる文学批評論(の授業)を読むと、文学というか「文壇」において、俺が今勉強したいと思っている(その時々の)「現代思想」が色濃く反映されていることがよくわかる。それにしても、ソシュール記号論レヴィ・ストロース構造主義デリダポスト構造主義はまだしも、難解極まりないフッサール現象学ハイデガーの現存在まで、唯野教授(即ち筒井康隆であることは言うまでもない)が豪快かつ狡猾にぶった切ってくれる。これはもう、全く、明快かつ爽快である。いいぞー、もっとやれー!である。

その昔、大学1回生の頃に夢中になって聴講していた夢分析の授業で出てきた「シニフィアン」「シニフィエ」という用語が記号論構造主義から来ていたとはねぇ。そういわれてみればその先生の指定した教科書のタイトルは「夢と構造」だった。今なら読めるかもしれない。読み返してみようかな‥‥それはともかく、この「夢と構造」にしても、人文・社会の人々の営みや会話は、「現代思想」を知らなければそのニュアンスを読み解くことができないということか。まいったねぇ。

例によって本書は毒々しい笑いに満ちているため、万人にはオススメしづらい。あくまでも「筒井波長」が合う人のための実験的小説と言っていいんじゃないかな、と思う。