高等学校「倫理」(清水書院)

書名:文部省検定済教科書 高等学校「倫理」三訂版
出版社:清水書院
発行:平成3年2月
おすすめ度:★★★☆☆

俺が高校生だった時に使っていた教科書である。そう、実は俺はとても物持ちがいいのである(笑)。それにしても「倫理」なんて科目、もう消えてしまって久しいなぁ。

やはりうちの学部は人文系だな、と思うことが多々ある。学生さんにせよ、教員の皆さんにせよ、そういう思考回路に触れる度に、ああ、そういう訓練や教養が俺には足りないな、必要なんだな、と思っていた。そこで、まずは一度は勉強した(そして結構好きだった)この「倫理」の教科書を「読み物」として再読してみることから始めよう、と思い立った。

読んでみると、ことのほか面白い。歳のせいだろうか(^^; 実際に哲学書を手に取って読んでみるとわかるが、同じところをぐるぐるぐるぐる回って、答えの出ない問いを、延々と論理の揚げ足を取りながら、それはまるで「エア重箱の隅つつき」のような思索を繰り返し、最終的には小学生でもわかりそうな当たり前の結論に行き着くのが常である(笑)。しかし本書は「教科書」なので、そういった「哲学的手続き」を最小限に、思想的な偏りの無いように、ソクラテスキリスト教から始まり、ルターの宗教改革、社会契約説、ドイツ観念論実存主義マルクス老荘思想ガンジー毛沢東福沢諭吉フロイトポパーフーリエ、フランクフルト派まで、幅広〜い「考え方」を、なるべく簡明に解説してくれる点が非常に良い。また、全体的に「若者よ、今、思索にふけらずして、いつ頭を使うのかね!」「先哲の残した思索の道のりが、悩める君たちの助けにならんことを!」的な熱い魂を行間に感じるのも妙にテンション高くて面白い。

惜しむらくは、終盤のまとめの章で、現代社会の欠陥、ないし「病」についての思潮について語られる際に、科学・技術についての本質的な理解が無い、いかにも人文・社会系の「科学・技術の上っ面しか見ていない議論」に終始していたことである。「科学万能主義を見直さなくてはならないのではないか」って、万能と思い込んでるのはむしろ非・理系の人なんですが‥‥少なくとも一度は一所懸命に科学を学んだ人間なら、神やら宇宙人やら人間の浅はかさなんてものを持ち出さなくたって、人間の作り出した諸般の「法則」の有限性についてはよーく知っている。その例は、従来の理論では説明し難い太陽の320倍の恒星が発見されたニュースについて先日のゼミで話した通りである(従来の理論で説明できないと言っても、これまでずっと上手くいってたのだから、それを含むより一般的な理論の構築を目指すだけ。別に世界がひっくり返るわけでもないし、ましてや人間の限界をそこに見る必要もない。ただ単に、次に向けての科学的営みが粛々と続くだけだ)

それにしても、先哲達は、いいこと言ってる。個人的にはソクラテスの「無知の知」と老荘思想儒学が好きかな。イギリスの功利主義は明快だが、プラグマティズムは思考を放棄しているようでなんかイヤだ。そして白眉はやはりニーチェである。キリスト教を弱者の論理だと糾弾したニーチェが、親鸞悪人正機説‥‥善人なおもて往生す、いわんや悪人をや‥‥を聞いたら何と言うだろう?などと想像すると、なかなか楽しい。