リストと戦う3週間: 9日目「家計簿〜その家庭内共産制」

  • RTM総タスク数=570
    • 前日比:-36+34
  • 睡眠時間=3時間

一日を始める前に、RTMの「すべてのタスク」で完了したタスクを消しておくと、その日にやっつけたタスクの数が分かる。前日と比べれば、いくつ減らしていくつ増えたかがわかる、と気づいたので昨日から始めた。

会社などの営利的な組織が安定的に存続するためには、会計の導入が必須である。経済的に+の変化をもたらすためには、収入を増やすか、支出を減らすか、しかない。ダイエットのちょうど反対である。個人であれ家庭であれ、これは同様である。そこで個人・家庭に導入される会計の手段が家計簿である。その意味で、家計簿をつけることには正義がある。
しかしオレは家計簿が嫌いである。良い悪いではない。キライなのである。その理由は何だろう、と、自問してみた。
その結果、家計簿の先にあるものが嫌いなのだ、ということがわかった。家計簿の導入の先には、家庭内共産制が待っているのだ。
家計簿を導入すると何が起こるか。明確な資金の流れの管理である。管理の結果、「よくあること」は何か?収入はそう簡単には増えないので、支出を減らすことに重点が置かれるのが常である。最も簡単に支出を減らす‥‥フローを減らしストックを増やす方法‥‥端的に言えば、「おこづかい制」である。
「おこづかい制」におけるおこづかいの額はどのように決定されるか。支出の管理に重きを置かれる以上、家計にとっての支出額を最低に抑えること、即ち、構成員の生活にとって最低限のおこづかいが支給されること、が選択されるであろう。
きょうび、現金で給与を得ることはあまりなく、給与は自分の与り知らぬところを流れる。収入を得る役も担っている場合、その人物は、実際に自分の収入がいくらであるか、自分の労働の対価を実感できるのはおこづかいの額である。しかし、おこづかいの支給額が労働とリンクせず決められている以上、いくら精を出して働いてもおこづかいの額は変わらず、その価値の増大を実感することはない。どの収入付き構成員も「自分の労働とは関係なく支給される給与」で生活することになる。
これは旧ソ連を崩壊に導いた共産制ではないか。
頑張って働けばその分だけ見返りのある制度、資本主義を家庭内にも導入すべきだと主張したい。「国庫」に対する「納税額」を家計簿で決定し、それ以外が支給される‥‥というよりそれ以外は自分のもの、という制度である。その結果、かえっておこづかいの額が減ろうとも、自分で取り返せる可能性があればまだ勤労意欲が湧くというものである。