いろいろ悶々とする続き

続けてみよう。
とりあえず、さっき書いた「リチャード・クレイダーマンのなんちゃら」は、『午後の旅立ち』という曲であった。今iTunes storeで買った。ついでにすぐ近くのところに『小さなピアノの詩』という超絶に大好きな曲があったので即買いした。なぜか「即買い」が一発で変換されて驚く。この『小さなピアノの詩』は、ドビュッシーの『Rêverie』と並んで、何としても弾いてみたい曲である。
昨日、某所で恥ずかしい動画を公開した。半分は自分の記録のため、半分は近しい人々への近況報告的なノリで、ベースを弾いているのを撮ってみたものだ。『We Will Rock You』のソロ・ベース・アレンジ版である。渡辺直樹師のシリーズものらしい本に載っていた。最初は、クリストファー・クロスの『ニューヨーク・シティ・セレナーデ(Arthur's Theme)』が弾きたかったのだが、いいところでフレットが足りなくなり断念。現在はビー・ジーズの『愛はきらめきの中に(How deep is your love)』と格闘中。あと『コンドルは飛んで行く』も。そういえば、この本を開いて練習していたら、よし(長男)が近寄ってきて邪魔してきて、本をぱらぱら見ることになり、ぐちゃぐちゃしていたら、「おとうさん、『びの』弾いて!」と言い出した。『びの』???何だそれは??探り探り、‥‥「これ!『びの』!」と指差したのは所謂ベートーベンの第九『喜びの歌』であった。
ここで最後に「漢字読めないからね」などと書いてしまうとエッセイとしては「最後で台無し」なんだ、と数学者というかエッセイストに近いのではないかとも思われる藤原正彦氏が、最近読んだ本で主張していた。サイエンス・ライティングに関する、講義録をまとめたような文章で、授業中に学生に書かせた科学エッセイを「こんな説明を書かないで突き放すような感じで書け」なんていいながら添削してみせるわけだが、肝腎の藤原正彦氏の文章が良いと思えないのだがどうだろう。まぁ、実際に本が売れてるんだから、いろんな意味で、しょうがないんだろうけど。
ところで自宅のiBookLaTeX環境を再構築しないといけない。一念発起して、全ての文書ファイルの文字コードUTF-8に統一しよう、と思ったのだが手元のLaTeX環境(要するにTeXShopを使いたい)がUTF-8に対応していなかったのだ。仕事上のメインマシンはMacBookで、これのUTF-8対応は、艱難辛苦を乗り越えて、先月初旬に達成した。今はてんてこ舞いなのでMacBookを持ち歩いているのだが、できるだけこのマシンは(メインマシンなので)持ち運びたくないので、自宅ではiBookでやりたい。そこで同様の環境作りをiBookでやらねばならないのだが、驚くべきことにどこにも作業ログが残っていない(笑)。どうやったんだろう‥‥シェルスクリプトなどわからないのだが、UTF-8で動くようにするためのシェルスクリプトをブログで公開してる人がいて、それをちょびっとだけいじってパクったら動いた、という記憶がかすかに残っているのだが‥‥。
その、ログがどこかに残ってないかなーと探しまわっていた途中で、少し久々に?Google Docsを見た。そしたら、いっぱい「メモ」があった。こ、こんなとこにもタスクの塊が‥‥萎えた。萎え切ってもうEDになりそうだ。
やっぱりね、GTDのキモは、アタマが空になるまで「こと」を書き出す「コレクション」じゃなくて(かなり気分がスッとするのだが)、その書き溜めたタスクを整理して優先順位をつけるウィークリー・レビューだなと思う。って言ってもデビッド・アレンの本なんぞ読んでもいない、見よう見まねの我流GTDなんだけどね。
そうやってとにかくシラミつぶし、ノミ取りのように一つ一つの「こと」をつぶして行くことが、結局、個人的な効率を高いところに維持する秘訣なんだろうな、と思う。頑張ってそれをやって、マシーンのように作業をして、「こと」をつぶして行く、あるいはそうできるように「こと」のハードルを下げてやることが重要なんだ。その先に、遊ぶ時間が待っている!乾いた生活に恵みの雨が降るはずだ!