「個性」は「他の人と違うこと」ではないだろう?

基本的に、世論は、ある一部の人々の大衆操作(主として何らかのマスメディアを用いた情報操作)によって、恣意的に作られるものであり、(操作の主の期待通りに形成されるかどうかはともかくとして)大衆が自発的に世論を形成することは、現実には、事実上あり得ない、というのは言うまでもないだろう。

バブル期には、いろんな業種における商売のあり方が大量の顧客を扱う大量消費で、いろんな文脈で(現在から振り返ってみたときに)当時を「マス○○時代」と呼ぶことが多いようだ。旅行業なら「マス・ツーリズム」と呼ばれる。バブル崩壊後、どの業種でも、企業・顧客ともにそんな大量消費ができなくなり、「マス・スタイル」が成り立たなくなった。

「個性」がもてはやされるようになったのは、そのすぐ後ぐらいではないだろうか?

以下、もしこれが正しかったら。
「個性が大切」これは誰が言い出したのだろう?マス○○で商売できなくなったために、企業戦略のターゲットが個人向けに変わり、それに伴う広告戦略に世間が乗せられただけなのでは?マス商売をやめ、少しずつ異なる商品を用意できる環境を整え、少量ずつの在庫を用意し、他人と違うことで違う商品を買ってもらう。そういうスタイルが構築できた企業が伸びた。そういう企業が打つ広告はどんなものだろう?主体的な選択として「他人と同じもの」を購買するように誘導するのではなく、「他人と違うこと」に価値を持たせようとするのが自然だ。そしてそういう企業が広告代理店を動かし、マスメディアを動かす。

「個性」とは、誤解を恐れず言えば、哲学などで言う「実存」の一番わかりやすい形であろうか。その人であること、つまり例えばAさんが写ったビデオを見たとき、Aさんが「これは間違いなく私と同一ですよ」と言える、そういう自己同一性(これがidentityの語義だろう)が個性だろう。決して、「他の人と違うこと」が個性の第一義ではないはずだ。それなのに、他人と違うことをしないと個性でないような風潮があるように感じられ、それがものすごくイヤだ。誰かの情報操作あるいは世論操作にまんまと乗せられているような感じがする。広告の考え方(ターゲットを絞り、確実に情報を届ける)や、旅行の個人化・多様化といったことを考えながら、そんなことを思った。