インプットは「仕事」には入らないのか?

我々「学者」の仕事は何か?という問いの答えとしては、「知的活動」である、というのはおそらく一つの解として成立するだろう。
「知的生産の技術」だったかな?によれば、「知的活動」とは生産でなければならないそうだ。いくら勉強したってアウトプットしないとやってないのと同じだ、ということ。こどもが(おとなも?)よく言う、指示・指導に対して「聞いてるよ」といいながらそれに従わないというやつと同じ構造だ‥‥「聞いて」いてもやらなければ意味をなさない。「仕事」‥‥dutyあるいはjobだろうか‥‥は、やはりアウトプットでなければならないのか?そんなような気もする。だが、それだと資料収集やそれのインプットは「仕事」にはならないのかなぁ。
今、上に書いたように、仕事の進捗度合いを、「今日は○○を全体の何パーセントまでやった」というように、数値化する自己完結キャンペーンをしようかと思っているのだが、果たして本を読むことは仕事のうちなのだろうか?
これも「研究活動」には欠かせない作業ではあるのだが、じゃあこればっかりやっててそれが「プロとしての知的活動か?」と問われれば、それって受験生と大して変わらんやんwwwwという点で、反論のしようがない‥‥でも、ものすごく、おそらく必要な全労力の7割ぐらいをつぎ込むであろう脳的作業を「知的活動でない」と一蹴されてしまうのは、なんとなくやるせない気分になる。