本当に「考える」とこうなる

先日、文科省の科学研究費の申請書類を出した。
申請書類を書いていて、(あくまでもオレの場合)非常に困る項目?の一つに「それをやるための具体的な工夫を記せ」というのがある。Googleでつらつらと眺めてみると、この「具体的な工夫」という単語は、もはや一つの定型句のようだ。科研費に限らず、いろいろなところのいろいろな予算関連で登場するらしい。
あと科研に限らず研究費やプロジェクト立ち上げなどの申請書には、「研究の特色・独創的な点」を具体的に書け、というのもよくあるようだ。特色と独創性って何が違うのだろう。両方の語とも「ありきたりでない」ということだと思うのだが。語感としては確かに特色<独創性、のような気はするので、同義語ではないとは思うが、同じことの程度の差しかないような気がする。
‥‥ま、こんなことがわからんオレは既にその時点で予選落ち、ということなのだろうけど。
科研費申請書類の書き方」を論じる文献を見てみると、曰く

そもそも研究費を取るために研究計画を明確化するのではなく、はっきりした研究計画があるから費用を取る、という順序のはずだ。それが研究というものだ。だから特色とか独創性とか具体的な工夫とかは言われる前からちゃんとあるはずなのだから、それを書けばよいのだ。それが思いつかないというのなら研究者に向いていないから、即刻転職を考えたほうが良い。

いやはや、正論ごもっとも。
でもまぁ、ぼんやりしたビジョンだったものが、書類に合わせようと知恵を絞ってるうちに、だんだんと形を成していくのは、忘れかけてた(?)高揚感のようなものを感じさせる。これが本当の「考える」という作業なのだろう。本当に「考える」というのは、あるいは「考え抜く」というのは、お題の核心部だけでなく、内容の全ての末端まできちんと「考えた結果」を用意する、ということなのだろう。
従って、具体性を要求されて困るというのは、普段どれだけアタマをいいかげんにしか使っていないかという証左でもあるが、ともかく、書類作成というのが「考える」ための「きっかけ」になるのなら、「計画がイマイチだから今年も申請書を出さないことにした」なんてことになるよりはずっといいんじゃないの?と思う。