休日の昼はピアノ気分

今の家に引っ越して来てすぐ、なんの必然性も無くひょんなことからピアノが我が家に来たわけだが、それ以来、オレの休日の楽しみはピアノを弾くことである。忘れられがちだがオレはエレクトーン弾きだったのだ。ピアノ弾きではないので「きちんと」ピアノを弾くことはできないが、「なんちゃって」ならばピアノ弾きのフリをすることができるというのもエレクトーン弾きの特徴である。そして本当の意味で「ピアノを弾きたい」と思っていることも。

「なんちゃって」で「ピアノ弾きのフリをする」のなら、迷わずオススメするのが、世の熟年女性をトリコにする(?)イージーリスニングピアノの貴公子、リチャード・クレイダーマンの曲だ。「簡単でそれらしく聞こえる」こと請け合い。オレも何か弾けと言われたら(曲名忘れたけど)昔覚えたこの人の曲を弾くだろう。

George Winstonの「Longing Love(邦題:あこがれ)」は、ヨメさんが好きだということで以前に知人から楽譜を入手できたまま放置されていたのだった。ピアノ導入を機に練習を本格的にして、だいたいそれらしく聞こえる程度には弾けるようになった。音楽的に繰り返しになっている部分が多い(毎回ちょっとずつ違うことを弾いているのだが、いわゆるアドリブで繰り返しているということ)ので、「弾けるパーツ」で差し替えれば問題ない。しかし両手のコンビネーションがエレクトーンの発想とは全く違うので、ああ、これがピアノ弾きの発想なんだなぁ、と思ったり。

ドビュッシーの「Rêverie」を最近、練習し始めた。昔からフランス音楽(と呼んでいいのかな?)は好きなのだ。中でもこの曲は大好きだが、大好きという割には全編通して聞いたことは無く、いっちょやってみるか!ということで始めたわけだ。当初はヨメさんに弾いてもらうつもりで楽譜を買ってきたんだけどね(^^;)。

この曲、ノリ的には、今の言葉で言えばイージーリスニング的な要素も多分にあるので、ある種「簡単」なところもあるのだけれど、上記2曲とは根本的に異なる点がある。それは「楽譜に対する自由度」である。言葉だけを換えれば、「楽譜の範囲内」とはどこまでか?ということでもある。出所から楽譜までの過程、「作曲」の過程が違うのだ。ドビュッシーの「Reverie」には、ごまかしたりなんとなくそれらしく聞こえるように差し替えたりするような、代替手段がないのである。楽譜そのものの難易度は同じとは言わないが、「花火」とかリストの「La Campanella」と比したほど、むちゃくちゃ差があるわけでもない。にも関わらず、とてもハードルが高いように感じてしまう。少なくとも、弾けそうで弾けない部分が、大して進捗しないままかれこれ1ヶ月以上停滞している。全編弾き切るようになるには、あと2年ぐらいかかるんじゃないかなぁ。