『W-1 世界一決定戦』で分かったこと

冒頭数秒で「こりゃ見てられん」と思ってしまったのでなかなか踏ん切りがつかなかったのだが、ようやく見てみた。よっぽど見ずに消そうかと思ったが、でも見た。だってみんな地底人地底人って言うから気になるやん!(笑)
本編の前に、ひとまず感想。
演じられた(かつ放送に載った)マジックはどれも素直に楽しかった。マリック師もどっかのTBSみたいに変な演技じゃなく「本来の」「面白い」不思議さがキてたし、他の3人の方々も大変面白かった。今回のゲストの皆さんはいい感じで「芸をじゃませず芸をしていた」と思う。ただ、番組のシナリオ的な構成に関してはTVだから最初からこんなもんだというのはわかっているのでとりたてて何も言うことは無いのだが、カットのしかたというか、映像作品という意味での構成が、あまりにも「センスが無い」なぁ、と思った。どうせ演技を削るなら、局アナのしゃべりじゃなくてゲストを出すべきだし、だいたい録画の番組で携帯で投票させるなどどうせ無意味なのは小学生でも分かる(でもまぁ大人のほうがバカが多いんだけどね)のだから、もっともっと面白い芸人リアクションや不思議な演技が放送できたはずだ。本当にTV局人(番組制作会社?)ってセンス無いよなぁ。
それにしても出演マジシャン諸兄姉は、どういうつもりで出たのだろうか。悪い意味ではなくて、「どういう風に聞かされて」「何をやれと言われて」出たのだろうか、という意味だ。特に気になるのが、出演交渉の際に、「超魔術」をどういう風に翻訳して伝えたのだろうか、ということである。
どうも、見ていて、「超魔術」を、単に「メンタルマジック」としか伝えていなかったんじゃないかなぁ、と思われたのだ。対抗して持ってくる作品が、いわゆる「メンタルマジック」、誤解を恐れず言えば「単に不可能性の高いマジック」だったからだ。ヨウコ師だけが「超魔術」の意味を理解していたように思う。目指すべきところはそうじゃないのだ。うまく説明できないのがもどかしい。普通の非スライハンドマジックを並べたら、そりゃマリック師の作品が目立つのは当たり前だ。違うことをやってるのだから。余談になるが「最も魔法使いに近い」と思ったのはマヨラール師だった。

それはさておき、地底人のこともさておいて(笑)、ここからが本編だ。番組を見ていて自分の内面のことに一つ気づいたのだ。マジックを見て面白いと思うポイントである。


※あくまでもオレの「好み」の話であって、当然ながら良し悪しを云々するつもりは毛頭ないので念のため。
端的だったのが、ファノビッツたんだ。ファイナルにもってきた「火をつけるとカードが炎とともに変化するマジック」は全く面白いと思わなかった。「ふーん、そんなの売ってるんだね」でおしまい。オレはギミック嫌いの傾向は確かにある。「自分でなんとかして解析なり何なりして再現したい真似したい」と思えるものが好き、ということで、「追える」ものがいい、というわけかと思うとそうでもない。アルマンド・ルセロ師の演技をTVで見たときは、スライハンドの「香り」がするだけで、「追う」どころではなく鳥肌ものだった。そんな「香り」しか感じさせないようなステージスライハンドマジックはそうそうお目にかかれないし、ギミックは「ふーん」なのでステージマジックやイリュージョンはめったに面白いと思えない。じゃあステージ編のファノビッツたんのなんとかトラップはどうだったかというと、これがめちゃめちゃ面白かったんだよなぁ。
何なんだろうねこの差は。といろいろ考えてみて、思い当たったこと。「仕掛けが効果そのものでない」ことがオレの内部審査基準なんだな、ということだった(ここで言う「仕掛け」にはスライハンドも含んでいるつもり)。そう思うと、「カーディオグラフィック」とかあんまり好きじゃないし、「WOW!!」だって益田師以外の人の演技で面白いと思ったことが無い。ふじい師がPaul CurryのColor Changing Deckを「おすピー」でやってたのを見たときの鳥肌感も納得がいく。本気モード(?)のマリック師の「面白さ」も納得がいく(ちなみにマリック師の演技で一番好きなのは「カード記憶術」である)。そして、これが逆説的にというかぐるっと一周回って帰ってきたかんじで納得いくのが、ナポレオンズ師の「ギネスに挑戦」である!(ああ、もう一度見たい!)
オレは確かにいわゆる「ピュアリスト」に近いかもしれない。でも、「仕掛けが効果そのもの」になっているのは、「その人の起こした不思議」と思えないから好きになれないのだろう、と思う。