『ご苦労様』と『お疲れ様』問題

オレは

「ご苦労様でした」と目上の人に言ってはいけない。「ご苦労様」は目下の者に向かって使う言葉であり、目上の人間には「お疲れ様でした」と言うべきである。

と昔々に教わり、実際そうだと感じ、そう信じてきた。しかし「そんな大きな仕事、私なんかでは役不足ですよ」と並んで「よく間違われる日本語の事例」の代表でもあることも知っている。よく間違われる、ということは、多くの人が上のテーゼの逆を感じ、使っているということでもあり、オレが言ってるのは実は単なるアナクロニズム、もしくは下手をするとオレだけ勘違いの可能性もあるわけで、調べてみたのでメモ。

辞書的見地から

  • 『類語大辞典』(講談社
    • 御疲れ様‥‥人の苦労をねぎらう言葉。「〜でした」▽目下にはもちろん、目上でも少し上の人ぐらいなら使える。
    • 御苦労様‥‥目下の人の労をねぎらう言葉。「〜。明日もよろしくね」▽目上に対してはつかわない。
  • 新明解国語辞典』第五版
    • お疲れ様‥‥仕事に打ち込んでいる人や仕事を終えて帰る人にかけるねぎらいの言葉。〔一般に目上の人には用いない〕
    • ご苦労様‥‥〔「苦労」の丁寧語〕他人の骨折りを感謝する意を表す語。〔(中略)皮肉なニュアンスを持たせて用いる場合もある〕

つまり、「お疲れ様」には対目上・対目下の概念がありしかもその他の辞書と一見逆の結論になっているが、「ご苦労様」には存在するとは言っておらず、こちらはなんともいえない。今、「一見逆の」と書いた理由は後述。なお第4版までにはそもそもこれらの項がないとの情報も。

  • 明鏡国語辞典
    • お疲れさま‥‥立項されていない
    • ご苦労さま‥‥目上の人に対しては「お疲れ様」を使うほうが自然。
  • 三省堂国語辞典』第四版
    • お疲れ様の項がない
    • ご苦労様‥‥(1)目上の人が、相手の苦労を尊敬した言い方。(2)ほねおりを感謝する言葉。
  • 大辞林』第二版 (三省堂
    • 御苦労‥‥(1)苦労を丁寧にいう語。「いつまでも―が絶えませんね」(2)相手の骨折りをねぎらっていう語。目上の人には使わないのが普通。「―、―。もう君は帰ってよろしい」(3)人の努力や骨折りをひやかしたり、やや皮肉をこめていう語。「雨の中をジョギングとは―なことだ」
    • 御苦労様‥‥「御苦労(2)(3)」をさらに丁寧に、あるいは皮肉をこめていう語。「この暑いのに―なことだ」
    • 仕事などの疲れをねぎらうときに使う語。仕事を終えて帰る人に対する挨拶の言葉としても用いる。

まとめると

目上の人に対してのねぎらいの言葉としては、「ご苦労様」とは言えない。また「ご苦労様」には皮肉をこめた要素がある。「お疲れ様」は目上に対しても使ってよいと考えても良さそうであるが、そうでないとする立場もある。

簡単に言えば「対目上ご苦労様アウト説」は真っぽくて、「対目上お疲れ様セーフ説」は微妙、というところか。
なお上記の文献のうち、『新明解国語辞典』第五版と『三省堂国語辞典』第四版は自宅のものからの引用、『大辞林』第二版はオンライン辞書サービスからの引用、その他はいくつかのサイト・掲示板で引用されていた記述の引用である。

一般常識というかマナーとして

日本語倶楽部編「そんな言葉づかいでは恥をかく」(KAWADE夢文庫)では、「ご苦労様」には、目上の人が目下の人をねぎらうというニュアンスが強く、「お疲れ様です」というのが職場でのマナーだろう、としている。また、中には、そもそも目下の人が目上の人をねぎらうという行為自体が不適当であり、(目上の人に対して)「お疲れ様」でさえ使ってはいけないと考える人もいる、としている。これが上記『新明解』の項で「一見逆の結論」と言った理由である。
また小学館「ビジネス礼儀作法マニュアル」では、「ご苦労様」は目上の人が目下の人に使う言葉であり、上司にご苦労様でしたと言うとひんしゅくを買う、としている。
マガジンハウス刊「無敵のマナーブック」によれば、「『ご苦労様』は、本来は目上の人が目下の人に言う言葉で、(中略)上下関係無く使えるのが『お疲れさま』。目上の人に使うときは『お疲れ様でした』『お疲れ様でございました』と丁寧な表現にする」ということらしい。ここで「本来は」とし、「目上の人にお疲れ様というときには「でした」をつけるべき」としている点に注意したい。
一般常識あるいはマナーの面では、冒頭に述べたオレの教わったことは、少なくとも現時点では正解‥‥と言えそうである。
なお、以上3件の文献引用は、自宅の書庫?においてこの問題に関する記述が発見できた全てであり、決して作為的な抽出ではなく、「雑学事典」系、「男を磨くマニュアル」系、「大人の作法」系、指導要領・教科書系、作文系、受験参考書系など、可能性が考え得る全ての自宅蔵書に当たった結果である。
ちなみに自分が退社する場合の別れの挨拶としては、「失礼します」が最も無難、ということのようである。冒頭でテーゼという言葉を使ったが、退社時の台詞に限定すればこの「失礼します」はアウフヘーベンということになる‥‥のか?(笑)

ネット界隈での情報

基本的には上記の一般常識としての見地からの「ご苦労様は対目下限定・お疲れ様でしたは対目上でもセーフ」説と、各辞書からの抜粋による検討がなされている。地域差の存在を仮定する説も見られたが、有意な結果は得られていないようだ。
その中で注目を引いたのが、ことば会議室: 教えてください (ご苦労様) (toshi712)でのやりとりの中でいくつか例が挙げられている「明治〜大正期には目上に『ご苦労様』と言っても普通だったのかも」という説。またこの会議室では、旧日本軍?の中での言葉遣いに「ご苦労様は対目下限定・お疲れ様でしたは対目上でもセーフ」説の源流を求める考察も展開されている。
それから、いくつかのページを見ていて目に付いたのが、「お疲れ様」はダメで「お疲れ様でした」というべき、という説も注目に値する。
余談だが、教えて下さい系掲示板類のやり取りにおいては、質問者は「対目上御苦労様セーフ説でいいじゃん?(誰かそうだって言ってよ!)」のスタンスの場合が多く、回答者は「対目上御苦労様アウト・同お疲れ様セーフ説」のスタンスの場合が多いように(オレには)見受けられた。

現代の趨勢‥‥NHK放送文化研究所による意識調査

上記のネット会議室ログおよび前掲文献「そんな言葉づかいでは恥をかく」で注目すべき資料が挙げられている。NHK放送文化研究所による昭和62年の意識調査で、

6割以上の人が「目上に『ご苦労さま』と言っても失礼とは思わない」と答えている

ということらしい。これはオレにとっては少なからずショックであった。
昭和62年(1988年)といえば現在からすれば20年近く前のことであるから、その後の「乱れことばブーム(ギョーカイ用語ブーム)」や「ゆとりビッグウェーブ」なんかを考えると、もしもっと新しい同様の調査があれば、今はもっと多くの人が「対目上御苦労様セーフ派」に属していることを示す結果が出る(出ている)だろう、とは容易に予想されるが、そのような調査が存在するのかどうかは知らない。

まとめ

最後のNHKの調査結果と現状での一般常識としての認識とを合わせて考えると、現状は、

目上に『ご苦労さま』と言っても失礼であるとは自分自身は感じないが、それは一般常識的には失礼なことだとされている(ということは知っている)

というのが大勢を占めている、ということになるのだろうか。対目上ご苦労様失礼説の源流・形成過程についてはいろいろ思うところはあるが想像の域を出ないので割愛する。とにかく、

辞書的には微妙な点もあるが、

  • 少なくとも現在の一般常識として、目上に対しての『ご苦労様』は誤用である。
  • 同じく「お疲れ様でした」と言っておけば間違いない

ということは正しそうである。しかし言葉の誤用・正用には民主主義的な多数決の原理が適用されいつの間にか逆転していることが往々にしてあるわけで、おそらく上記NHK調査が示すように、近い将来には対目上ご苦労様セーフ説が主流になるのだろう。あるいは逆転して対目上お疲れ様アウト説まで行ってしまうこともあるかもしれない。

「democracy(民主主義)」とは本来「主義」についての用語ではないばかりか「衆愚政治」を意味する言葉であった、という話(村上陽一郎「やりなおし教養講座」NTT出版)を連想したオレは、やっぱりただの偏屈オヤジなのかなぁ。