いわゆる10カウント・何か・アクロスの問題点について

以前からちょっとずつメモしてたことをつないでみたら長くなってしまった。

いわゆる『10カウントトリック』というやつ。『何か』は、コインだったり紙玉だったりスポンジボールだったりするが、とにかくそれが「10数える間に」瞬間異動する、という作品である。
これは、本質的に素晴らしいトリックだと思う。
だが、同時にこれは、欠陥があるトリックだとも思う。巧妙なミスディレクションを内包することで有名な作品だが、それに頼ってしまうと落とし穴が待っているように思う。むしろその長所を無視して考えるぐらいじゃないとダメ、というような難しい作品だと思う。

まずどうでもいいことを一つ。個人的なこだわりのようなところから。これは非常に『細かすぎて伝わらない』ことなのだが(笑)、「10数える」というのは何をすることなのかということ。「1から10まで数える」のなら「1、2、3、‥‥10!」でOKであるが、これが何となく「10数える」と言ってしまうと、『10秒間で』の意味になるような気がする。ところがよく考えてほしい。「1、2、3、‥‥10!」と数えるとその間に経過する時間は9秒なのである(!)。よくわからんと言う人は小学生のときにやった『植木算』を思い出してほしい。ついでに言えば1秒というのは動作をする時間としてはかなり長いので、カウント1つぶんの時間で2つぐらいの動作を行うことが可能である。
作品としての本質的欠陥という意味で言えば、1〜10数える間に何かが起こるという制約を課しているために操作が非常に限定されるのがこの作品の難しさの一つであるので、1つでも多く操作(秘密動作でなくとも単に現象をはっきりさせるための『示す動作』も)を入れたいと思うと、この演技を『10秒間』で行い、『10から1までカウントダウンする』というのはどうだろうか。つまり、「10、9、‥‥」と始まって最後は「ゼロ!」で終わるのだ。こうすると、同様に植木算的に考えれば分かってもらえると思うが、動作は11個行うことが出来るのだ。余分の1回で『示す動作』などを入れればかなり印象は良くなるはずだし、上に書いたように1秒間は長いので11個以上の動作も可能である。

なぜそうしなければならないのか、というのがもっと本質的な欠陥でありここで言いたいことなのだが、『両手に一つずつ握った物体が片方の手に集まる』という現象がひどくわかりにくい状態で提示されてしまうということだ。これには2つ理由があって、まず『10数える』という行為自体への観客側の気配り(声に出さなくとも観客は一緒に10数えてしまうのだ)によって現象への注意力が削がれてしまうことと、もう一つはクロスして持つ、ということ。そしてそのために生じる最大の欠陥が、こうした分かりにくさを内包した手順にも関わらず、起こる現象が、モノがたかだか1つ移動するだけだ(!)ということ。

これを読む手品人全員が知っている通り、このトリックは軽〜く演じる種類のものなので、なおさら難しいのである。つまり、集中していないと現象が分かりにくいのに、軽〜く演じると観客の集中力がさほど高くないので現象が伝わらないのである。このことは、このトリックがこども相手だと受けるが大人相手だと「ふーん」で終わってしまうことが往々にしてあるということでもわかると思う。こどもの集中力はすごいのである。

同じことを別の側面から言えば、『仕事』をするときには注目されないようにするのが基本なのにも関わらず、この『10カウント』の場合にはその『仕事』をちゃんと見てもらわないと何が起こったのかわからない、従って演技構成力と技術力がそれなりのものでないとダメ、ということになろうか。直球勝負だもんなぁ。

要約すると、この『10カウント』を成功させるには、(1) どちらのコイン(、紙玉、スポンジボール)をどちらの手に握ったのかをはっきりさせるということと、(2)それを10からゼロまで数える10秒間(11.5動作ぐらい)という制約の中で、どのタイミングでどのように示すか、ということをしっかり考えて且つ実践できないとダメ、ということだ。一応、バカのために言っとくと、リテンションパスが巧けりゃいいとかそんな話じゃないので念のため。
もちろん他にも解決策があるかもしれない。例えば左右で異なる物体を握るとか。この場合、物体Aが物体Bを引き寄せる力があるんだよ的な言い方もできそうだ。いずれにせよ、できるつもりになってる人々はもう一度よく考えてほしいと思う。本当に難しいから。