マジックに必要なもの

我が心の師匠ふじいあきら師が、銀次郎師のDVD「基礎とはなんぞや コイン編その壱」にゲスト出演していた際に言っていたことだが、手品が流行りにくい理由について、師はこのように述べている(少々表現はうろ覚えなのは御容赦願いたい)。

たとえばピアノとかだと、少々ミスっても、最後まで弾けば、拍手がもらえるんですよね。ところが、これがマジックになると、ミスったら取り返しのつかないことになりますからね。「こんなことならやるんじゃなかった」ってことになりますし。

これは確かに大きな理由だと思う。失敗してはいけないので、少なくとも自分では完璧と思えるぐらいにならないと人前では演じることができないのが、本当につらいところだ。

さらにもう一つ、この指摘に加えておきたいことがある。マジックを演じることを趣味にできるかどうかの境目、それは「持続力」である。「持続力」が無いひとには、マジックはできないのである。理由は簡単。演じるためには、タネも仕掛けも当然知っていなければならない。しかし、人前で演じるためには、知っていても屁のつっぱりはいらんですよなのは自明である。だから、練習を何度も何度も繰り返してルーティーンを磨かなければならないのだが、本人はタネも仕掛けもどころか苦労や弱点も何もかも知っているので、やっているルーティーンが不思議には見えないのである。マジックの最大の魅力「不思議」を感じないのに繰り返し練習しなければならない。これは「持続力」がなければ半ば拷問とも呼べる試練である。だから、マジックを鑑賞すること、は流行っても全然おかしくないのだが、マジック(を演ずること)はそれ自体が持つこの宿命によって、本格的には流行らないのである。と思うのは私だけだろうか。

ふじい師はそのトークの最後に、こう締める。

「マジックを演じている自分が好き」っていうんじゃなくて、マジックを好きになってください。

「マジックを演じている自分が好き」なだけでは、中途半端な練習でも演じたくなってしまう。そこに落し穴があるのだ。マジックそのものに対する愛情がなければ、前述した「持続力」も湧いて来ない。

‥‥いいこと書けた。推敲して本家のHPにアップしようっと(笑)