世界をどう認識するか

忘れないうちに書いておく;

数ヶ月前のこと。次男(5)に、地図が読めるようになったらいろいろいいなぁ、と思って、あーだこーだと一緒に話をしてみたことがあった。そのとき、割と、2次元の普通の地図は、まぁ、いけるかな、という感触だった。

けれど、彼曰く、「大阪があって、日本があって、地球があって、世界があって、宇宙がある」と言う。まぁ、それはそれで(僕としてはちょっと違和感を感じるけれども言葉としては)正しい。

で、「世界」がどうこうじゃなくて、地球と宇宙の関係の理解があやふやなんじゃないか的な気配を感じたので、地球儀を(北極を上にして)手に持って、「僕らは日本でこう立ってる。けど、裏側のブラジルとか、オーストラリアの人とかは、こんな風に立ってる(地球の中心方向を指し示しながら)んやで」と話した。

すると、次男坊曰く、「そしたら、その(ブラジルとかオーストラリアの)人たち、落ちるやん」と、僕が手に持っている地球儀から床に向かって落ちると指し示しながら主張したのである。

あ、まぁ、いや、まったく、そうだよね。うん。

でも、うん、えーと、…

これはどう説明したものやら。

困ってしまった。

でも、こういうことって、子どもだからじゃなくて、大人でもたくさんあると思う。

そこを敏感に、かつ、丁寧に、「気持ち」を大事に、取り扱えるかどうかが、「科学普及」と「科学コミュニケーション」の違いになっていくのかなぁ、などと思った次第。