2014.03.17-19 伊豆大島ジオパーク視察ログ

大変な土砂災害の被災地の実態を知るため、また島原半島と異なるあり方で火山を中心とするコンテンツのジオパークの表も裏も知るため、そして何より、日本ジオパーク界ではナンバーワンカリスマガイドとして知られるNさんにガイド頂くため、客員教授のS氏にコーディネートの労を執って頂き、伊豆大島視察が実現した。

宿の部屋を出てS氏と品川で合流し、羽田へ。今回は日立アロカメディカル社の半導体型電子式積算線量計「マイドーズミニ PDM-122B-SHC」を装着して個人線量当量を計測しながらの視察である。検査場通過前後で被曝線量がいくらか出るかと期待したが積算線量は1.1で変わらず。搭乗ゲートでiPhoneのPassbookをかざすも通れず。保安検査場通過時に使った紙版チケットのバーコードでないとあかんらしい…

Nさんと合流。多忙を極めるNさんに全日程アテンドをお願いできたのは奇跡的。被災地に案内してもらう。道路の下が流れたのか、道路が波打ってるところもある。スコリアGET。

砂防ダムいっぱいに土砂が埋めてたらしい。今はきれいに搔き出してあったけれども。しかしとんでもない規模の土砂崩れだ。はるか彼方の外輪山の山肌からここまでの土砂が、いわば積分されて、押し寄せたわけだ。このとんでもなさを表す語彙を僕は持っていない。

国道ごと崩れた、ということは誰も予想できてなかった。というか、予想のしようがなかったわけだ。今後どうするのかについては行政や住民など立場によって意見が分かれ、溝は深いようだ。

溶岩流の先端へ。溶岩樹型と固有種のスミレ。溶岩の上を歩くとガラスみたいな音がする、ってかガラスだし。さらに2000年前の溶岩流跡と、27年前の割れ目噴火の溶岩が、周りを焼きながら進んだ断面を視察。

小清水の大きな椿。根元が上に反ってるので、広がった枝が集めた雨水が根元に集まってぼたぼた垂れる。それで生活用水を集めることができたんだそうだ。

1万年?7000年前の地層からも椿が出てくる。その頃からあったわけだ。椿は火山ガスに強い。椿は花が丸ごと落ちる。鳥が爪で花弁を押し広げて芯に顔を突っ込んで蜜を吸うので、落ちてる花は穴だらけで、顔じゅう黄色い花粉まみれのツグミがいる。

大島は火山から出てきたものでできてるので坂しか無いんだとか。登山道路の途中に小さなサウナ跡がある。かつて地下のマグマ?のせいで湯気が出てたから。だけどマグマは向きを変えるものなので?、湯気が出なくなって廃業になってしまった。逆に元町?のほうでは地下水が熱くなって温泉になった(←どういうことかな?)

ビスタポイント「新火口展望台」で出会った人々の乗ってた車には「ジオパーク巡回中」と書いてあった。レーザー測量器(発信側?)があった。1700年代の噴火までは、1回数億トン出してて、海岸まで流れてたんだけど、噴火のパターンが変わって小出しにするようになり、カルデラ内で完結するようになった。

火山に一番近い宿「大島温泉ホテル」の駐車場に地層の見える露頭がある。一番下に火山弾?バラバラの軽石がつもったスコリア層、その上に火山灰の層、その上に土の層‥‥ってのが繰り返した跡。

大島温泉ホテル駐車場出て、三原山レストセンター横の「歌の茶屋」へ。昼食。青のりたっぷりのうどんを食す。

三原山に出発。見下ろす風景は、噴火のたびにどんどん変わる。アア溶岩を登った。最近のアア溶岩で、その向こうが昔のパホイホイ溶岩。溶岩で焼き払われても、イタドリがパイオニア、その後にススキが生えてくる

途中、Nさんのカリスマガイドっぷりに感激した。何がすごいって、この歩くのが大嫌いで超絶に出不精の僕が気付いたら山を登っているのである(笑)。まぁそれはともかく、Nさんはゴミ拾いしながら登ってる。そして本人が楽しんでる。やっぱガイドは人柄だ。解説の語りもいつも小話で、ジオジオした単語が出てこない。僕たちに何が見たいか常に尋ねている。必ず糖分と水分の補給をしてくれる。お客様が発見してNさんがえーッって喜ぶ。お客様にしゃべらせる。

江戸時代の溶岩の上にあった舗装路が最近の噴火のアア溶岩が上から覆った露頭。火山灰のミルフィーユと測地レーザーのやつ(受光側?)の露頭。Nさんはノリが若い。

ゴジラiPhoneがぐずって撮れず。S氏の助言に従ってiPhoneをリセットして復活するも一瞬のみ。しくしく。

北側は数十万年前の噴火の溶岩でできてる。

江戸時代?の昔、大島の人々は「やまかた」と「うみかた」にわかれていて、「うみかた」は船を持ってて商売はできたが、「やまかた」は貧しかったんだそうだ。この構造がいろんなところに痕跡を残している。

※なお、この辺りまでのツアーの様子は、Nさんご自身によってご紹介頂いた

いったん宿に帰投。防災無線が17時になると流れる。「防災大島」という名前の放送らしい。語っている。私たちは災害と向き合い、とか。地域のイベント情報なども流している。

ここで大島観光協会会長IS氏と、高校生記者プロジェクトとして活躍した現役高校生RSさんにお話を伺う。IS氏は「伊豆大島ジオパークに」と言い出した張本人である。立ち上げ時のご苦労などを伺った。既存の観光および観光ガイドとの兼ね合いについては、やはりカリスマガイドNさんがあまりにもカリスマであることが逆に運営としては難しいことを生んでいる側面もあるようだ。ガイドの仕組みづくりは本当に難しい。どこぞの人々にももうちょっと考えて欲しいものだ。RSさんのお話は、多感な年頃であるからこそ「地元」を学ぶ‥‥のではなく「知る」ことの重みを感じた。いわゆる大都市圏の高校生は、ここまでしっかりしたことが言えるだろうか。いや、大学生も‥‥うちの大学生にはこんなしっかりしたことは言えないんじゃないか?とS氏にこぼしたら、「それはキミのやり方が悪いから」と一蹴されてしまったことであるよ。

居酒屋「南島館」にて乾杯。「めっかり」という貝、「アオムロ」のくさや、明日葉とラッパノリ炒めなどを頂く。くさやは遅ればせながら?初挑戦。悪評をよく聞くが、僕は「ちょっと臭うかな」ぐらいの感じ。小さい頃、防波堤で釣りをするのが好きだったが、あそこで捨てられているボラやサバが放つ臭いと同種のものだと感じた。全然平気だった。特に気に入ったのが青唐辛子醤油。大島にはわさびが無いので青唐辛子で刺身を食べるんだそうだが、これがクセになる味。食は旅の楽しみ。その後、宿に帰投。

2日目。仕事なので朝は早い。

やはり昨日の山歩き後半でiPhoneがぐずって撮れなかったのは、PostEverで未送信メモを溜め込み過ぎたせいと思われる。あとでこのことをS氏に尋ねたところ氏曰く「iPhoneは基本的にはシングルタスクなので、メモリは実は小さく、一時的なデータをたくさん溜め込んでおくことができない。おそらくその未送信メモのせいというのが正解だろう」とのこと。なるほど。

RSさんに「大島に来てコンビニが無いとかいうのは違う」とお話を聞いていたが、そんな大島に来てまで仕事に追われるなど。現金が足らん…

野増のましの集落を通過し、有名な「バウムクーヘン」前に到着。今の学説では2万年前だと言われてるんだとか。維持費100万円程度らしい。ビルの窓拭きみたいなもん、と言えばそんなものか。名産の塩「海の精」の鹹水製造場を出た辺りで雨降ってきた。続いての工程の工場では、売店でお姉さん出て来て説明を受けた。焼き塩は干した粗塩と違い、にがりのマグネシウム分が焼くことで酸化マグネシウムに変わるため、湿気を吸いにくい(逆に粗塩は空気中の湿気を吸ってすぐにべちょべちょになる)のだそうだ。買った。

波浮港はぶみなとに向かう。都はるみのあんこ椿がヒットしたのに続いて、あんこ椿は恋の花っていう映画ができたんだとか。波浮港を見下ろせる見晴らし台にはその記念碑がある。

波浮港は、火口の中に人が住んでるとこらしい。波浮は絶壁など地形を利用してる町と言える。港に風が入りにくい。なお、くさや工場もある。確かに上から見比べると、波浮港の内外で波が全然違うのがわかる。ここでもNさんはトイレへの声掛けもマメに、忘れずに。

波浮港到着。船着き場の突き当たりの、歌の記念碑のすぐ隣に、金属パイプの鉄琴がある。順番に叩くと曲が鳴る。波浮港名物のコロッケ立ち食い。箱買いしたいって人もいるらしい。

港の民家は一階が浸水してもいいように倉庫になっている。民家は港をぐるっと取り囲むように同心円状に分布しているので、敷地自体が扇形になっている。

波浮港出発し、筆島遊泳場へ。巨大な赤い岩壁にグレーの岩脈が見える。素潜り漁してた。足もとはスコリア層に千畳敷みたいに削られた砂泥互層が乗っかってる。筆島のところの海岸はマグマ水蒸気爆発後の絶壁、数十万年前の火山の跡だそうだ。山体が波で削られて島の東海岸は崖。ここでもNさんは、解説が長くなるときも常に対話で進める。大島の人達の娯楽はパチンコとカラオケらしい。その他、最近興味がある自然環境と自然信仰との関連の観点から、筆島そのものが信仰の対象になっているのか等についてNさんに取材してみるなど。

裏砂漠は風のため断念。時間が押していて動物園・椿博物館をスルーし、岡田おかた港到着。漁協のレストランで昼食。どれも美味しそうなので、カレーでハンバーグ定食をお願いした。

その後、町役場へ。町長のお話を伺う。土砂災害についての痛恨の思いを語って頂く。だいぶお疲れのようだった。続いて気象庁の防災担当のK氏にお話を伺う。実際の取り組みの、担当者のありさまを垣間みたように思われた。粘り強さ、だなぁ。

役場出て移動。街に看板がないのは、風の島だからだそうだ。中学校校長Y氏にお話を伺う。理科教育のご出身らしく、学校教育の中での防災教育のあり方、小中、中高の連携のあり方について、実例を多くご紹介頂いた。校長ヒアリング終了からの観光協会へ。大島で行われたLocalWiki+OpenStreetMapマッピングパーティイベントについて担当者のO氏と、仕掛人であり今回のコーディネートの労をとって頂いた同行者S氏に実際のところやノウハウについてお話を伺う。‥‥からの、観光協会会長IS氏への追加インタビュー。あーしんど。

朝海館あさみかんの部屋にイン。ここの別館にはうちのロケットチームがお世話になっているらしい。夕食は大変美味。引き続いて観光協会副会長の朝海館のご主人を交えて宴会。宴会終了は23時に。


3日目も早々にに朝食を済ませ、裏砂漠へ出発。無理を言って宿のマイクロバス(なんと4WD!)を出してもらった。「月と砂漠」コースから侵入。ここで納得したが、確かにこのバスでないと今の裏砂漠には入っていけないかもしれない。

裏砂漠では風も強くなく晴れていて、広大な荒野の風景に素直に圧倒される。こんなに快適に裏砂漠を鑑賞できるような天候は珍しいのだとか。ありがたや。風に踊る砂、というか「岩の微粒子」と雨水が作ったのであろう小さな川の痕跡があり、そこには既に地層ができつつある様子が見られた。ああだこうだとワイワイした後、裏砂漠をマイクロバスで文字通り「脱出」。

ご主人K氏はサーファーだそうで、道中、これまた他で聞けないお話を聞く。伊豆大島はハワイと同質の波が来る。砂浜じゃない崖に当たって来る波「リーフブレイク」があるんだそうだ。

岡田港の龍王神社や、岡田の町並みの中の八幡神社を視察。岡田出身のK氏でしか語れない昔の祭事の様子の解説は大変興味深かった。

その後空港へ向かい、お別れ。なんとも心地よい方々だった。