パスタでたどるイタリア史(池上俊一)

パスタでたどるイタリア史(池上俊一)

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  • 新書: 228ページ
  • 出版社: 岩波書店 (2011/11/19)
  • ISBN-13: 978-4005006991
  • 発売日: 2011/11/19
  • おすすめ度:★★★☆☆


「イタリア人特有の、無条件の母親愛、楽天的な信頼感情、小さな罪責感情、弱い超自我の力、弱者や貧窮者への同情と愛、迷信深さ、運命への服従、人懐っこさ」は、パスタが作ったのである!!!



ナンダッテ━━━━━━ヽ(゚Д゚)ノ━━━━━━ !!!!






本書は昨年の青少年読書感想文全国コンクール課題図書(第58回)、平たく言えば「夏休みの宿題の本」である。だから岩波新書ではなく岩波「ジュニア」新書なのだが、歴史オンチの僕には立派な「大人向けの」新書クオリティに感じた。

例えば‥‥

1861年イタリア王国として国が統一されたものの、文化的には各地方都市がバラバラだった状況を打開し「イタリア人」ができあがるために大きな役割を果たしたのが、ペッレグリーノ・アルトゥージが著した料理書「料理の科学と美味しく食べる技法」(1891)だった。現在に至るまで(?)この料理書は「一家に一冊」のマストアイテムなんだそうだ。当時イタリアの各地方都市での「方言」はきつく、互いに何を話しているのかわからないほどだったのだが、各地の自慢のレシピを平等に採用し、且つ、料理用語を統一することで、「結果として、料理の、そしてパスタの国民統合を促すことに」なった、即ち「それは『料理』を通じた国家統一」なのだそうだ。このようにして「イタリア料理」が成立したことで初めて、「各地方の特色ある料理パスタ」という概念が生まれた。だからこそ「パスタを食べることでイタリア人はイタリア人であることを自覚する」と言われるのだそうだ。パスタすげぇ。

‥‥とまぁ、そんな具合に、イタリアの歴史のさまざまな出来事‥‥古代地中海文明、中世の領土争い、農民・貴族の暮らしと階級制度、教皇と皇帝の争い、ブルジョアジーの誕生、イタリア統一と建国、イタリア国内の南北問題、ムッソリーニファシスト党政権誕生、女性解放運動、未来派宣言、などなど、イタリア史上のありとあらゆることがパスタと関連していることが、本書を読むと、わかる。

‥‥と本書に味方して言うこともできるが、率直に言えば、ありとあらゆることを強引にパスタと関連づけて解説している。この「(イタリアの)全ての道はパスタに通じる」的な話のしかたを読んで僕が受けた印象は、おそらく、ジオツーリズム推進な人々が「全てのものはジオに通じる」とドヤ顔ってるのに一般の方々が接したときに受ける印象と同じなのだろう。

ところで、本筋とあまり関係ないことについて2点。

今までにも何度も書いてきたけれど、僕は歴史がてんでダメなので、古代〜中世のイタリア半島の陣取り争いを文章だけで書かれてもよくわからない。「A国がB国に攻め入ってC北部を支配した」という「動き」があるたびに地図を書いてもらいたい。地図が無いからわからない。というか、実質的に、いわゆる「世界史」って陣取り合戦じゃない。なんで地図で見せないの?何考えてるのかと小一時間問いつめたい。年単位で世界各国各地域の領土を1枚の世界地図に描き、画面上で「年号スライダー」をマウスや指で動かすと世界の各国領土の歴史的変遷がわかるような教材ソフトやiPad教材アプリがあればめちゃくちゃ便利だと思う。僕は欲しい。誰か作って。

もう一つはカタカナ。僕は、そう、それこそ歴史上の人物の話題を例に挙げて、藤原なんちゃらとか徳川なんちゃらとかのような音も似ていて漢字も似ていて、しかもそれをきちんと区別しなければならない一族を覚えるよりも、ヨーロッパのカタカナの人々のほうが、音だけ覚えればいいんだから楽だ、と言っていた。しかし僕のそういう覚え方は、どうやら、純粋に音だけで脳に刻み込んでいたのではなく、覚えるべき言葉とその音を、ある程度、接頭辞や接尾辞や語幹といった何らかの要素に分解して理解していたようだ。というのも、本書では


ラヴィオリ(2枚の四角いシートに具を挟んだパスタ)やトルテッリやトルテッリーニ(どちらも一枚のシートに具を包んだ半円形のパスタ)は、12、3世紀から、地方ごとに詰め物に野菜や肉類、チーズなど、さまざまなバリエーションを考えて作られていたようです。ボローニャのトルテッリーニ、レッジョ・ネッレミリアのカッペッレッティ、リグーリアのパンソーティ、ピエモンテのアニョロッティ、マントヴァのアニョローニとトルテッリ、ベルガモのカソンセイ、クレモナのマルビーニなどは、それぞれ長い伝統を誇っていますが、15世紀にはラヴィオリとトルテッリはイタリア中の料理書に取り込まれて高級料理として広まり始め、16世紀からはメッシスブーゴやスカッピの働きで、さらに貴族・ブルジョワたちの間で人気が出たのです。
のようなカタカナ語が連発する(もちろんこの引用個所は極端な例ではあるが…)のであるが、全くもってどこで切ってどこからどう理解、咀嚼したらいいのかわからない。いや、もちろん、英語的な何かを由来とするような言葉や人名にしても、最初から語源や語幹や接尾辞や接頭辞を知っていたわけではないから、それらは最初は呪文のように唱えて暗記するしかなかったわけだし、実際、幼い頃は、全く関係ないけど、木星の衛星の名前をそれこそ呪文のようにして「口で」覚えていた。しかしいま目の前にあるこのイタリア語たちは、取りつく島が無いというのか何というのか……おそらく、僕に「カタカナが覚えられない」と言ってくれていた人々は、こういう感覚を言っていたのかな、と、恥ずかしながら、初めて理解できたような気がした。