ニーチェ入門(竹田青嗣)

ニーチェ入門 (ちくま新書)

book image

  • 著: 竹田青嗣
  • 新書: 237ページ
  • 出版社: 筑摩書房 (1994/09)
  • ISBN-10: 4480056084
  • ISBN-13: 978-4480056085
  • 発売日: 1994/09
  • おすすめ度: ★★★★☆


難解なニーチェの思想をよくここまでわかりやすく、明解に語れたものだと、感嘆した。ニーチェ本人のことばニーチェの著作の引用文)の意味はさっぱりわからないのだが、著者の説明は、簡単ではないが、読み流しさえしなければちゃんとわかる。僕は高校時代には社会科は「倫理・政治経済」を選択していたが、ニーチェハイデガーはもうアウトラインだけ、キーワードだけサラッとさらっておくのがセンター試験「倫理」のお約束だった。「わかるわけない」から。

観光を「観光学らしく」勉強しようと思い、あれこれ手掛かりを探すうちに、どうやらミシェル・フーコーが重要らしいということがわかった。そのフーコーにたどり着くためには、どうやらニーチェを知っていないといけないらしいこともわかった。そこで、かつて大学生時代にニーチェを学んだ妻に本書を借りて読んでみた。

さて、20世紀半ば以降、マルクス主義に取って代わる思想として興ったポスト・モダニズムの「源流」としてニーチェリバイバルが起こっていたらしい。ニーチェはよく、キリスト教フルボッコにする理論を打ち立てたことに注目される。弱者が強者に対して抱くねたみやそねみの心=「ルサンチマン」が、弱者のあり方を正当化するために、自然な論理を心理的に)ひっくり返すために打ち立てた、ひがみ根性の結晶ががキリスト教だ、と切り捨てる。そこには慎重に積み上げられた、「超越した何か」「どこかこの世にない真理」にすがる心、それを正当化するシナリオ、つまり権力をフルボッコにする論理がある。「権力争いの無い世界を作るためだったマルクス主義をホントにやってみたら独裁政権ができちゃった」というトラウマを乗り越えるためにニーチェが求められたらしい。もっとも、本書を最後まで読めば、ポストモダン思想はニーチェ思想の本質を捉えていないと著者は断じるのだが…。

僕が高校時代の(センター倫理を前提とした)「倫理」の授業で習ったニーチェと言えば、「ニヒリズム」「神は死んだ」「ルサンチマン」「力への意志」「超人」「永遠回帰」である。上に書いたようにキリスト教的に「善」とされるもの(隣人愛)はひがみ根性の成れの果てだ→そうじゃなくて「力への意志」に基づいて超人を目指せと言っている……という程度の知識で、それ以外はなんのこっちゃだったというのが正直なところだ。

以下、僕なりに理解できた(と思えた)ことと、思ったことをいくつか。


「すなわち、一種の肯定が最初の知的活動なのである!初めに『真なりと思いこむこと』ありき! それゆえ、どうして『真なりと思いこむこと』が発生したのかを説明すべし!」(『権力への意志』)
人間は何を信じているのか、が問題ではなく、何かを信じざるを得ないからである。では「信じる」とは何か?それは解釈し価値評価することである。では、人間をして何かが正しいと信じさせるものは何か?……それが上の引用文である。ニーチェはこれを「力」と呼んだ。著者曰く、ニーチェの「力」の思想が卓越した根源性を持つ理由は、なによりこの問い方が優れているから、なのだそうだ。やはり、「答え」より「問い」が重要なのである。

キーワードの一つ「永遠回帰」は、この世がどうなっているかを説明する理論という意味で、いわば宇宙論なんだそうだ。当時の最先端の物理学の成果であるエネルギー保存則(マイヤーの業績らしいので、今で言う「熱力学第1法則」のことなのだろうと推測する)にインスパイアされたようであるが、つまり、そういう物理法則に支配されたこの世では、ある時の状態(初期条件)からスタートしたとすると、そのうち、いろんなことが起こった末に、そのうち、今と同じ条件が偶発的に生じることがきっとあって、そうであればその瞬間からは、同じ法則に従って粛々と同じ歴史が繰り返される、永遠に同じ状態へ回帰する…という思想らしい。この思想から、「何したってどーせ同じことになるんでしょ」的なニヒリズムが生じる。これを乗り越えるにはどうすればいいか?…というようなことがポイントらしい。今の物理学の言葉で言えば「決定論的」な世界観だが、科学に於ける20世紀最大の発見と呼ばれるカオス理論……決定論的な物理法則に支配されていたとしても実際に起こる現実は偶然(誤差)によって決まり予測不可能である、即ち、同じことは二度と起こらない……を知ったら、ニーチェはどう考えるだろう。

また、この永遠回帰の思想の中で、ルサンチマンの本質が明らかにされる。それは、過ぎ去った残念な時間、いくら残念でも修正することのできない時間に対する「復讐」の念なのだと言う。ここでも時間がその本質なのか……そうか!ジョジョの各ボスが必ず時間を操る能力を持っていること、それを持たない主人公たちが何とか別の方法でボスに勝利するストーリーは、我々読者のルサンチマンに対するカタルシスだったのか!