島原半島ジオパークに行ってきた

ジオパーク」とは地質や地形など地球のもつ資産を、市民が地球に親しみ地球を科学的に知るために活用する仕組みを持った地域に与えられる称号のようなものである。「世界遺産」が「保存」を主目的にしているのに対し、ジオパークは「利用」にウェイトが置かれている。

ジオパークは、どちらかというと、地球のダイナミックな活動を「見る」「触れる」ことで「学ぶ」という、学校教育・社会教育・生涯教育等々に利用可能なフィールド教材としての研究・開発あるいは意義付けが行われてきたように見える。そこで、それに加えて、ジオパークは集客力はあるのか?今はやりの「地域ブランディング」の効果はあるのか?それはなぜなのか?といった観光学的見地からの研究を行おうと思い立った。

世界ジオパークネットワーク(GGN)に認定されている日本国内のものは4つである。日本ジオパークネットワーク認可のものだともっとある。我が社内でも、将来的には紀伊半島(どちらかの意味での)ジオパークとして認定されるよう、動き出すことになった。

しかしその前に、まずは「ジオパークって実際どうなん?どんなんなん?」を知らねばならない。ということで、現地の知人の案内も見込めたので、GGN認定の島原半島ジオパークの視察に行って来た。初めての社会調査…をするに当たっての予備調査、という意味合いである。

雲仙岳災害記念館から望む雲仙普賢岳、大規模火砕流跡は、なんとも雄大というか、圧倒的だった。その火砕流跡を眉山側から見下ろすのもまた息をのむ絶景である。こんなでかい規模で、500℃超の高温ガス+瓦礫が100km/h超で流れ下るのかと思うと、立ち尽くす他ない。

もともと島原半島には雲仙の絶景や温泉、南部の海水浴場や岸壁、あるいは有名な「島原の乱」の島原城原城など、個性豊かな観光名所が「個別に」存在していた。それに雲仙普賢岳の平成大噴火の遺産が加わり、島原半島ジオパークとして「統合」された。ジオパークは地球バンザイ系だけでなく、そういう環境で生まれ育った(あるいはそういう自然環境が生み育てた)「文化」も重要視されている。

ところが、というか予想通りというべきか、「ジオパークだぞ」という標識や貼り紙や幟は見かけるもののそれを地域住民が積極的に取り込んでいるようには見えないのである。モデルコースNo.1の出発点と謳われている場所への道路標識・案内板等が全く無い(おかげで随分道に迷った)ところを見ると、行政もさほど本気になってはいないようだ。おそらくもっとつまらないものでも屋久島ならでかでかと看板が出ていることだろう。

なぜこんなことになっているのか。どうすれば住民のやる気を引き出せるのか。これはひょっとすると内部マーケティングというやつの応用、なのかもしれない。また、バラバラの観光地をジオパークとして「統合」するとどうなるのか。いろいろと問題の立て方がありそうな気がした。