GTD的発想の限界

GTDの本領は、いわば、2つに集約される。

  1. 頭の中のことを全て(99%ではなく100%)何かに書き出して、頭を本当に空っぽにする
  2. そうやって作ったToDoリストに全てを預けておき、考えることなくそれをこなす

である。この爽快感は、やった人でないとわからないかもしれない。「やらなくちゃなーと思ってることを(適当に)書き出す」だけなら誰でもやったことがあるだろうが、99%でなく100%、完全に全部書き出す、ってところが特にやったことないとピンとこないだろう。
だが、その目的は何だろうか。リストを作ってさえいれば、そのことに頭を使わなくて済む、というのが売り文句である。では、いったい何のために頭を空にするのか。
ToDoリストに余分な脳作業を預けた分だけ、その脳の余力を、「預けられないようなToDo」に使う、というのが目的である。リストに預けられないようなToDoとはつまり、「考えてアイデアを出す」というToDoだ(だから「クリエイティブな作業に脳を使うため」にGTD、というフレーズがよく見られる)。この手のはたいてい、予め細かくブレイクダウンすることができない。この作業を効率化するためにGTDないしその親戚の手法は全く使えない。もっと言えば、大抵の「ライフハック」と呼ばれる術は通用しない。
GTDに限らず、例えば時間管理術の類いもそう。「考える」というのは、脳を「結論が得られるまで」使うことだと俺は考えている。だが、その結論に至るまでの時間は予測できない。ブレイクダウン可能な「作業」ならば時間を見積もることが可能だが、そうもいかないのである。かくして、「細切れ時間の有効活用」的な生活がいくら充実しても、肝心の仕事が進まない、という結果に陥る。‥‥陥っている(^^;
ただ、頭を空っぽにして集中できる脳を作ったときに驚くほど「考える」ことができる、っていうのは非常によくわかる。その通りだと思う。
雑事をどれだけスピードアップできるかが、「考える」ために必要なまとまった時間を生み出せるかどうかに直結するのだろう。それをしないで「考える」作業を優先するんだーと言うのであれば、(事務・同僚の皆さんを困らせても平気で居られる無神経さを身につけた上で)雑事をサボり倒すしかない。