温暖化懐疑論vs懐疑論批判

「vs温暖化脅威派」ではない。
Climate-gateあるいはIPCC-gate以降、「IPCC第4次報告書の主張する人為的CO2温暖化脅威説」に関して、次々に「科学的でない手続き」の寄与が明るみになった。例えば、温暖化の主張の一番の基盤となるべき過去の気温データに捏造疑惑が持ち上がったり。
先日紹介したFPCOMMENTの記事のように、どうやらIPCC第4次報告書を基盤にして「科学」の議論を進めるには難があるようだ。いわゆる「温暖化は科学ではなく政治だ」という言説が相応しい報告書のようである。
では一歩戻って、学界はどうなのだろう?
確かに、懐疑論者の指摘するように、研究予算の問題がある。懐疑論的科学を進めようにも地球気候科学が一匹狼で進められるものであるはずもなく、チームを組みプロジェクトを起こし予算を獲得して、そういうプロジェクトが世界中で何本も走って初めて学問になり得る(その意味で懐疑論は未だ科「学」的とは言えない、とも思う)。にもかかわらず、現実には、温暖化脅威派でなければ予算は取れない。
残念なことは、懐疑論の多くが、(脅威派の指摘するように)議論が穴だらけであることだ。以前、丸山氏の講演を聞いたことがあるが、あちこちで論理的な違和感を感じるものだった。残念ながらその場で矛盾を指摘できるほどの能力(学問的素養+ディベート的瞬発力)を持ち合わせていないので、その場で反論することはできなかったが‥‥。とは言え、懐疑論の中にも、きちんと科学的立場から脅威派に立ち向かう人もいる。
そういう議論をよく読み、知っておくことはとても重要であろう。
そこで脅威派の中にも、「きちんと懐疑論批判をしようとする人」が出てきている。そんな中から、東京大学サステイナビリティ学連携研究機構の出版した「地球温暖化懐疑論批判」をざっと読んでみた(←このリンクから全編ダウンロード可能、約70ページ程度)。これは「脅威派」にありがちな「懐疑論=トンデモ説」と始めから取り合わないのではなく「懐疑論批判」である。反論というか、論破している。
だがこの本(というかパンフレット?)も、本編の議論は冷静に見えるが、立場として相当に偏っている。「Our Mission」に曰く、

人為起源の二酸化炭素排出を主な原因として 地球規模で気候が温暖化するという、いわゆる人為的地球温暖化説の信憑性や地球温暖化による被害を緩和するための対策の重要性に対し、懐疑的あるいは否定的な見解をとる議論が日本国内でも存在している。社会からの信頼にその活動基盤を置く科学者コミュニティは、こうした現状を座視すべきではないと考える。‥‥

むしろ懐疑論者は「いわゆる人為的‥‥ための対策の重要性」を盲目的に信奉する見解が日本国内でも多く存在している現状を「座視すべきではないと考える」人たちであることを忘れてはなるまい。
また本書で残念なことがさらに2つある。1つは、取り上げられている「懐疑論者の論点」の多く(全てではない)が、もともと科学的に未熟な見解のものであることだ。もっと突っ込んだ、あるいはもっと過去の研究の蓄積の正当性や限界、その後のアップデートなどを踏まえた懐疑論はないのだろうか。
2つは、取り上げられているのが日本語ベースの論ばかりということだ。「英語圏懐疑論には英語圏の反論があるからここでは省略」って、そりゃないだろう。
どの説をどのように取り上げるべきか、自らの立ち位置をどうするべきか、迷う。午前中に双方の記事をめいっぱい読んだが、つ、つかれたー‥‥