【俺様解説】「雑毒の善」

「ぞうどくのぜん」と読む。
仏教用語である。というか、ひょっとすると「浄土真宗用語」かもしれない。知らん。
一言で言えば、「善い行い」をしていても、必ず「悪い心(毒)」があるものだ、という意味。功名心だったり、虚栄心だったり、あるいは対価を求める心だったり。
端的なのが「○○をしてあげた」という表現。何か他人に施した際に使われるが、大抵の場合、この「○○をしてあげた」後、しばらくすると、「○○をしてあげたのだから、その代わり××をやれよ」あるいは「○○をしてあげたのに」という話に、いつの間にかなっているものである。要するに、見返りを求める心が善き行いをさせたわけである。
実は、俺は普段からこの「○○をしてあげる」という表現は使わないようにしている。あるいは、使うときは意識的に使っている‥‥つまり「代わりに何かやってもらうつもりである」ことを主張する時に使う。そして何故か大抵の場合、頭に来ているときである(^^;
それはさておき、この「雑毒の善」というアイディアは面白いと思う。サービスとホスピタリティの違いにも通じるような気もする。何か善いことをするとき、「その人のために」と思うと雑毒の善の罠にはまる。そうではなく、「自分自身がその行いをしたい」と思うことをした結果が、たまたま他人にためになってしまうような行いをすればよい。善い行いが自然と生まれるような、自分自身の行動規範を持っていればよい。
浄土真宗用語としては、この後に「そんな、善いことをするにも悪い心が入ってしまうようなどーしよーもない私達に対してさえも救いの手を差し伸べて下さる阿弥陀様バンザイ」という話が続くのだが、それはどうでもよい(自分を律することへの怠慢の言い訳、屁理屈、ダメ人間製造システムにしか聞こえない)