撮影旅行その後

May 21 後編

機材を発送して身軽になった俺たち撮影部隊は、一路、島間港へ。フェリーで屋久島へ渡るためだ。この出港が1045と早かったので、急いで撤収したのだった。そして、この1泊追加して屋久島経由で飛んで帰るルートしか、22(土)のうちに和歌山に帰る選択肢が無かったのだ。
フェリーで爆睡。
1150屋久島入り。予約しておいたレンタカーを受け取り(我が家のクルマと同じなので非常に運転しやすかった)、まずは「屋久とろ」のそばを食す。美味い。しかし食べている間にスコールのような大雨。さすがは亜熱帯、と思った。
その後、屋久島環境なんとかセンターに立ち寄って勉強する。屋久島はひと月に雨が35日降るんだそうだ。道理で雨が降る訳だ。種子島は堆積岩でできている(付加体である)が、屋久島はそこに貫入したマグマが冷えて固まった花崗岩の塊だそうだ。地元の女子中学生が職場体験で一人、スタッフ役をしていた。
宿に向かう。途中、枕状溶岩の見られる海岸に立ち寄る。火山島でない屋久島になぜ枕状溶岩があるかというと、遠い海底で作られた枕状溶岩がプレートに乗って運ばれて屋久島に付加されたらしい。枕状溶岩と聞いて丸い塊が見られるのかなと期待したのだが、長い間の浸食のためか全然そんな特徴は無く、普通の岩だった。
急いで宿に入り、無線LANが使えるのでメールチェック。間もなく、O氏が準レギュラーを持っている某番組に電話で生出演。
その後、「大川の滝」(おおこのたき)を見に行く。那智の滝を「静」とすれば「動」だな、と思った。まぁ、滝界の事情はよく知らんが、昼からの雨で増量していて、かなりの迫力であった。
個人的には「民宿」に泊まるのは初めて‥‥だと思う。いつもと勝手が違うので困惑するが、評判通り、この宿の食事は美味かった。
O氏・Y女史は早々に眠りに就く。俺はワインを飲みながらメールチェックやらなんやらして、寝た。

May 22

前日に屋久島入りしてから、屋久とろを食し、屋久猿を見て、名物の滝も見て、首折れ鯖を食って、あと何する?そりゃ屋久杉でしょ、ということで、朝から紀元杉を見に行くことに。飛行機に間に合いそうな唯一の杉がこれだった。
山道をレンタカーで駆け上る。途中で霧に覆われ、その後ドバシャーッ!と雨になる。崖に沿って走る山道だったのだが、ごく普通に流れ落ちる山の雨水が、あちこちで名も無き滝になっている。すごい雨だ。日本の平均雨量の4倍近くの雨が降るらしいが、それも納得である。
紀元杉に「デン」して空港へ。チェックインを済ませて待合室で帰りの飛行機が到着するのを待つ。鹿児島から飛んできて「戻る」便に乗るのだ。
ところが。その飛行機が、降りてこなかった‥‥「悪天候のため、着陸できないと判断し、鹿児島へ引き返しました」とアナウンス。雨男の俺が行くとロケットが飛ばないんじゃないかと言われていたが、ロケットは飛んだが飛行機が飛ばないという俺様クオリティwww
場内騒然。カウンターで払い戻し&代替ルートの手配の長蛇の列。そうこうしている間に、20分ほど経ったあたりか、次の着陸便が降りて来た。大して天気も変わってないのに、なんで降りて来れるねん。‥‥というより、その辺にいたおっちゃんが言うてた通りなのだろう:「パイロットの腕やな」。この、根性無しがあああああ!!
実はO氏は23(日)に催されるN女史の結婚式の主賓で、絶対に帰らねばならないのだ。鹿児島までフェリーで渡って鹿児島から羽田経由で帰る案、鹿児島から新幹線を乗り継いで帰る案、等々、検討を重ね、結局、昼過ぎの飛行機で鹿児島に出て、そこで中部国際空港行きの飛行機に乗り換えて、名古屋から新幹線で新大阪に帰ってくるルートを選んだ。おかげで、帰れることは帰れるが、ポスターの印刷ができないことになり、やむなく自宅でA4パッチワークを制作することになった。
さらに昼過ぎに屋久島を発つ便がこれまた10分遅れやがって、鹿児島の乗り継ぎが猛ダッシュという有様。ほんまもう。