切り換えられる男

ふと気付いたのだが、最近、食事の味を覚えていない。その瞬間にはおいしいとか何とか思ってるわけだが、ちゃんと味わっていないような気がした。ずっと仕事のことを考えている(のだと思う)。
非常によろしくない。
思い起こせば、気持ちを、あるいはアタマを「切り換える」というのは、幼い頃から苦手であった。何か(本気で)やり始めたら、しつこくしつこく続けてしまう。レゴで遊ぶのも、プラモを作るのも、楽器の練習でも、作曲でも、ドラクエでも、望遠鏡のフィルターの手入れでも、画像解析プログラムの作成でも、なんでもそうだった。
ただし、「本気になる」ことがほとんどないのであるが。
院生の頃、ある教授に「キミは腰は重いが動き出したらやるんやな」と言われたことがある。そういうことなのだろう。
しかし、それが通用したのも研究員まで。今は、高い集中力を瞬時に出せる「アタマのフットワークの軽さ」が必要だ。
切り換えられないから集中力が出ない。集中力が出ないから仕事が片付かない。仕事が片付かないから脳内がすっきりしない。脳内がすっきりしないから切り換えられない。
だいたい、メシは美味くないといかん。美味い飯を出してもらってるのにこんなんじゃいかん。
切り換えられる男になろう。