日食情報提供の反省

「あれだけ日食騒ぎが起きているというのにオマエは何もしないのか」とお叱りを受け、日食前日にここで情報を提供したわけであるが、全く肝腎のことがすっぽり抜け落ちていたことに気付いたのは、食が始まってからのことであった。

曇りまたは雨になるのはわかりきっていたのに、「雲を透かしてみる太陽」のことをすっかり忘れていたのだ。

当日の空は、そこそこの高度にあると思われる明るい曇り空の下を、雨雲が通過して行くような天気であった。雨雲のすき間の向こうの「明るい曇り空」を透かして見る太陽は、直視しづらいほどに明るかった。
結論から言えば、この「明るい曇り空」を透かしてみる太陽は、おそらく、「昔ながらの太陽観察法」を使って良かったのではないだろうか。
「昔ながらの方法」は、要は、赤外線をカットしていないので、目が炭火焼になってしまう危険がある。しかし、雲を作る水、H2Oは、赤外線を吸収する。「明るい曇り空」は、単に明るさを下げていただけではなく、赤外線フィルターの役割をもしていたのではなかろうか。だとすると、スス付きガラスや、黒い写真フィルムなどでも良かったのではないだろうか。
日食前日公表した日食観察法についての記事で「危険だ危険だ」と言い過ぎて、「これじゃダメなのかー」と日食を見ることそのものを諦めた方々がいらっしゃったなら、大変申し訳ないことをしたと思う。