夏休みの思い出

いや、別に誰も8月末で夏休みが終わったなんて言わないし、そもそも夏休みなんて決まってないし、大学の授業で言えば9月末まで休みだから、何も今この夏を振り返らなくてもいいんだけど、なんとなくやっぱり8月末って夏が終わったような気がするのでここでまとめてみる。
それにしても今年の夏は盛りだくさんだったような気がする。いや、ヨメサンと結婚してから毎年夏というか休みのたびに忙しいような気もするのだが、それはまあおいといて。
試験期間突入前夜からいってみよう。

ゆかた祭り

学生の、和服関係の授業の延長が、繁華街でファッションショー的イベントが開催された。そこで、うちの学部1回生だけのミニ・ブラスコンボが急造されたのだが、しれっとそこに混じって演奏をした。ちゃんと擬態できていたかどうかはわからない。M8の「イン・ザ・ムード」とか(笑)。これが、今の職場での音楽人としてのデビューであった。ちなみに浴衣を慌てて買ったものの、未だに着付けがわからない。

初めての試験監督

以前書いたので略。

サテライトキャンパス委員会

いわゆる「一本釣り」というやつ‥‥学部長に廊下ですれ違ったら「いいところで出会った!」と嫌と言えない状況下で仕事を頼まれるパターン‥‥で、うちの大学の、街中のサテライトキャンパスの運営委員のようなものをやらされることになった。以後、半月に1回程度街中にプチ出張が入ることに。

日食中継イベント

シベリア〜中国北部エリアで見られた皆既日食を、LIVE!UNIVERSEがリアルタイムでネット配信していた。これを利用して、大学内の特設コーナーに地域の人々を集め、皆既日食のライブ中継をみんなで見るイベントを開催した。もちろん解説ありで、音楽科の学生さんのピアノ演奏があったり、生協さんからのピロシキ&ポテト+お茶のサービスがあったり。オレは全体の司会進行。イベント冒頭で、マイクを持つ前にラージリングの手順をやったのは内緒だ。

オープンキャンパス

オープンキャンパスでも、例のうちの学部1回生だけのコンボに混じって出場。

家族旅行(オープンキャンパス見学付き)

なかなか我がオフィスを見てもらえる機会がないので、オープンキャンパスを機に家族旅行となった。電車オタク街道驀進中の息子のため、できる限りの電車に乗りながらみんなで移動。上の演奏を行ったオープンキャンパス会場では、休憩時間などに息子が走り回っていたのだが、女子大生から「かわいー!」「マジやばいー!」と黄色い声が飛んでいた。その後、家族と合流してホテルで過ごす。対岸ではたまたま花火大会があった。翌日はみんなで海水浴&プール。

恒例バーベキュー

毎年恒例の親友Y氏実家でのバーベキュー。ここでちょっと早いが息子に誕生日プレゼントDVDを開封。「100周年記念・阪急電鉄プロファイル」(笑)。息子は「これを恍惚っていうんだな」というような表情をしていた。

息子生誕2周年

無事に2歳になった。よかった。本当に良かった。この両親でよく2年も生きていられたと思う。それにしても、この少し前から急に言語能力が高まりを見せ、どんどん日本人になってきている。会話というか、意思疎通ができるようになってきて、急にオレになついてくるようになったのが嬉しい。言葉がなくてもやってけないとダメなのだが、オレの持ちネタはやっぱり言葉がないと。

高校ブラバンOBコンサート

初回から連続出場記録更新中。OBになってから7回連続出場達成で記念表彰をしてもらう。っていうか、降りているはずの2部ステージで、前日になって急遽1曲だけのしかもソロのところだけ吹くことに。で、先生も悪ノリするもんだからこっちも悪ノリして(笑)、演奏中に小芝居をすることに。秒単位で合わせるというやってるほうはスリル満点の小芝居は上手くいったが、それで変な緊張をしたせいか肝心のプレイが大変残念な出来映えにorz

地元の花火大会

昔はこの地元の花火大会は実家の窓から見ていたのだが、家が建ってしまって見えなくなっていた。動き出したら止まらないヨメサン(笑)のパワーで、みんなで打ち上げ会場付近の川原まで行くことに。‥‥っていうかこんなに近かったっけ!?すげえよ。打ち上げ点から500mぐらいのところ?までいった。「こんなええのんあるんやったら早よ言えよ!」とヨメサンは満足そうだった。息子はびびって直視できてなかったよ。

ロケット打ち上げ

太さ直径15cmぐらい、高さ180cmぐらいのロケットを打ち上げてきた。法規制のため、300m程度までしか上がらないように燃料の量を調節してあったが、なかなかの轟音、迫力であった。

フィールドワーク合宿

ロケット打ち上げのための出張(特徴:秋田の北の端)からハシゴで次の出張(特徴:長野の南の端)へ。移動で丸一日使った。ど田舎であるが、実母の実家に比べれば大したことはない。しかし、さらに田舎、つまり廃村になったところの施設で一夜を過ごすという企画が一部のグループに課され、裸電球1つだけという掘っ立て小屋に10人ほど送り込まれていた。なんか来年のそれの担当はオレになるというのが規定路線らしい‥‥。最終日の晩、そこの市長やら名士やらがいる前でコメントを求められ、これまた上司の無茶振りで、こんなこともあろうかと一応持参していたポケットリングで切り抜けた。

現在、12月のサンフランシスコでの学会の準備、学部創立記念論文集の原稿執筆、来週末の出前講義のネタ作り、来週末のお月見イベントの準備、10月からの講義の準備(全部合わせて4つ、ゼミなどで増えると最大6つ)、自分の書きかけの論文2本の執筆、かな。世間様からすれば大した仕事量じゃないんだろうけど、虚弱体質なオレにはちときつめ。