『仕掛け』と『仕込み』の違い

ちなみに普段オレは、
『タネ』=手品(クロースアップもイリュージョンも含めて)の不思議現象を起こすために必要な事柄全般のうち、観客には知らされないもの。
『仕掛け』=上記『タネ』のうち、テクニック・原理以外の事柄。特に使用する道具についての、観客の想定外のなにそれのこと。
と定義している。だから、レギュラーデックで何か演じるとき/演じたあと、「それ普通のトランプなん?」あるいは「それマジック用のトランプ?」と訊かれると「手品だからタネはありますが仕掛けはありません」などと言うことが多い。

どうも最近の新ジャンル『TVマジック』を見ていると、嫌悪感を抱くことが多い。なんでかなーといろいろと思案している。よくよく考えると、『仕掛け』をストリートに仕掛けておいて改めてカメラを回す‥‥なんてのは別にドラマのロケみたいな感覚とイリュージョンないしステージマジックの感覚とを足して2で割ったようなもんだから別に悪いことはしていないような気がしてくる。だが嫌悪感は本物なのだ。

上手く言えないのだが、それが『仕掛け』ではなく『仕込み』に感じてしまうからではないか、という気がしている。

では両者の境界線はどこにあるのか?と問われてもまだ答えはない。頑張って例を挙げると、いわゆる『TVにおけるサクラ』は『仕掛け』ではなく『仕込み』である。あくまでも感覚的な話で。
『サクラ』の是非については諸説あるが、半分をやや超えるぐらいが『サクラ否定派』であろうと思う。だが『サクラ』が効果的に使われれば素晴しい効果を産むことも間違いない。要は使い方のセンスの問題であろうと思う。たとえばクロースアップにおいて、『サクラ』が『不思議現象の当事者としての観客』であれば完璧にアウトである。そんなのがセーフならインビジブルデックなど不要である。『その他大勢』にまぎれていてこそ効果を発揮する。
その意味で、昨今見かける『TVマジックにおける助手として仕込まれた観客』は、『どうみてもサクラです本当にありがとうございました』であるので完全にアウトである。
もうひとつ、『カメラトリック』というのがある。これが往年のMr.マリック超魔術ブームのときの番組との大きな違いである。あのときの一連のシリーズでは、『カメラトリック』の可能性を払拭するために色んな工夫をしていた。今回の『TVマジック』の番組では、そういう工夫が一切見られない。堂々とカットし、フレームアウトし、アングル固定し、‥‥である。

要するに、ついてはいけないウソをついているような気がするのだ。それを許すなら、もう(TV画面上での)不可能現象など無いに等しいのではないかと思う。マジックとして成立しないのである。

だが、単に『TVでマジックを放映する』のではなく『TVだからこそできるマジック』という意味での『TVマジック』というのは、多分、成立できると思う。そのもやもやを晴らすポイントは、おそらく、『仕込み』には『良い仕込み』と『悪い仕込み』がある‥‥というところなんじゃないかと、もやもやと思う次第。例えば観客に特定の鍵を選んでもらうように頼んどくのはのは『悪い仕込み』だが、光速の着替えのためのドレスをどこそこに置いとくのは『良い仕込み』、みたいな。