将来性

研究者というのは、一体、『娑婆のみなさん』にとって、どれほどの魅力を感じる職業なのだろう。あ、『研究者がやっていること』ではなくて、あくまでも、若い人々がこれから目指したり何なりする上での、『研究者という職業』についての話である。

例えばまぁ、ぶっちゃけ、『夢のマイホーム』なんてのは諦めないとダメである。また、結婚即別居なんてのも当たり前の話。それから、博士号というものがあるが、こんなのは別に単なる資格であって、博士という職業があるわけではない。

博士号を取らずに研究者になるというのは、余程のコネがなければまず無いが、博士号を取得した時点で、(『飛び級』なる激難の裏技を使わない限り)最短でも既に28歳である。そして苦労してやっと博士号をとっても、一切、この業界での就職では価値は無い。強いて意義付けをするならば、単なる『レース参加条件』ぐらいのものだ。そして、博士になった人の半数近くは、プー直行である。

若手研究者の流動化が叫ばれている。エライ先生方の曰く、『若いうちにあっちこっちを見ておいたほうが、刺激があって、よい研究ができる』。

‥‥だったらオマエが動け。
オマエが動いて空いたポストに若手が入れるんだよ。

要するに、研究の手下に使うコマを増やしたかったから1990年代の『大学院重点化』をやっておいて、その世代が大学院を出て就職難を迎えると、自分の既得権益を守るために『若手の流動化』を叫ぶという、エライ先生方のためにできた構造の、狭い社会なのである。

『流動化』すれば、任期付きポストが増え、見た目には求人が増えるので、一見、就職難など起こっていないように見える。また、どうせ任期付きなので、トップのエライ先生方をおびやかすような古株ができることもない。自分の給料も安泰である。自分は任期付き雇用ではないから。

こんな業界に、一般の人々は、魅力を感じるのだろうか。本当に優秀な若手を育てたいなら、もっと『職業として』魅力がないとダメだと思うんだが、どうだろう。おなじ『ドクター』でも、医者とその他では雲泥の差なのだ。