ぼくは勉強ができない(山田詠美)
- 著: 山田詠美
- 文庫: 249ページ
- 出版社: 新潮社 (1996/3/1)
- 言語 日本語
- ISBN-10: 4101036160
- ISBN-13: 978-4101036168
- 発売日: 1996/3/1(※初版は1993.03.25)
- おすすめ度: ★★★☆☆
冒頭2ページで、「ああ、これは僕が傷つく本だな」と直感した。その通りで、読後はズタズタのボロボロになった。
帯には「新しいヒーロー 時田秀美登場!」などとあった。自殺したクラスメイトの片山を除いて、登場する「ヒール」たち…脇山、植草、桜井先生、山野、川久保、奥村先生、ほか…を、時田秀美という「ヒーロー」が一刀両断、バッタバッタと斬り伏せていく高校生小説である。曰く、
「どんなに成績が良くて、りっぱなことを言えるような人物でも、その人が変な顔で女にもてなかったらずい分と虚しいような気がする。…(中略)…変な顔をしたりっぱな人物に、でも、きみは女にもてないじゃないか、と呟くのは痛快なことに違いない。」
「おまえなー、そういうこと考えながら、練習してるから、シュートが決まんないんじゃないの?」
あるいは友人の黒川友子のセリフを借りると
「気分が悪くなってる間ってね、なんにも考えられなくなるの。すごく利己的な自分に気付くのよ。優しさとか思いやりとか、まったく役に立たないのよ。世界情勢がどうなるとか、環境保護が叫ばれてるとか、そういうことが、意味をなさなくなっちゃう。」
いろんなタイプの「ヒール」が登場するが、ビシッと一本、筋の通ったセンスで、薙ぎ倒して行く姿は、まさに痛快、ヒーローである。だからこそ、人々に受け入れられたのだろう。1996年には映画化もされている。
しかし、今回、本書を読んで感じたのは、この「痛快さ」を生んでいるもの、あるいはヒーローをヒーローたらしめているもの、即ちヒール達の中にあるデフォルメされた「悪」が、僕なのだということだった。この「悪」は、まさに人々に受け入れられた、みんなが思う「悪」だ。僕は、読みながら、時田秀美という「新しいヒーロー」にメッタ突きにされ、全身から血を噴き出していた。ひょっとしたら八つ裂きになっていたかもしれない。
僕はひとの心がわからない。本当にわからない。だから、小説を読んで、僕じゃない人生を仮想体験して、もっともっと傷付かなければいけないんだと最近思う(こう書くと僕がドMみたいだなw)。現実世界で傷付いたらとてもダメージは大きいけれど、小説の仮想体験であれば、まだ傷は浅くて済むだろう。できるだけ、実用書や専門書と交互に小説を読もうと思っている。