歴史学ってなんだ?(小田中直樹)

歴史学ってなんだ? (PHP新書)

  • 小田中 直樹 (著)
  • 新書: 205ページ
  • 出版社: PHP研究所 (2004/01)
  • ISBN-10: 4569632696
  • ISBN-13: 978-4569632698
  • 発売日: 2004/01


歴史認識」を認識する‥‥

俺の「歴史認識」って、アシモフファウンデーション3部作でとどめを刺しているというのか‥‥それが全てだよな、と良く思う(それはまたいずれここに書こう)

俺は理系的文化で育って来た。俺自身がもともと理系的なのかどうかは、今となってはもうわからない。「内なる理系」があるかどうか以前に、「習慣としての理系」が身に付いているから。

例えば、「一つ理解したら10個のことがわかる」とか、「できるだけ覚えることを減らす」という習慣は、周囲の人々からすると、とても理系的に映るようだ。
少なくとも、「歴史」を理解するには、そういう発想ではダメらしい。ということが、最近、わかってきた。(だからダメだったんだなぁ‥‥)

そういう問題意識を持って、この本を読んでみた。
まず少なからず衝撃だったのが、この本を貫くテーマ:「歴史学は科学である」、である。えっ?そうなん??どこらへんが科学なの??
著者は「歴史学は科学であるはず」なのだが、「科学としての要件」を考えると、意外と難しいよね、と言う。例えば、史実を積み上げて行くというのは大切なことだが、さて「史実」というのは、本当にわかるのか?と訊かれると返事に窮する。なぜなら、例えば多くの歴史の資料は「古文書」であるが、その古文書は果たして事実が書かれているのか?それはその当時のフィクションじゃないの?仮にそれが(当時編まれた)歴史書に見えたとしても、それホントは「歴史小説」じゃないの?‥‥と言い出したらもうわからない。
歴史家の悩みと、地質屋さんの悩みはある点では共通しているのかな、という気もする。例えば、氷河期には、積もり積もった氷の為に沈んでしまった地殻があった。しかし氷河が融けてその重みが外れることで、地面はどんどん隆起していく。海岸線だったところは高原の一部になる。そこには、あるはずのない「波に揉まれて丸くなった石」が転がる「渚の化石」が広がる。しかし、その「渚の化石」だけを見ていると、地面が隆起したのか、それとも海が縮んで海岸線が下がったのか、区別は絶対にできない。自分が上がったのか、その他が下がったのか。いわば、「海岸線の相対性原理」である(耳慣れない方々のために:アインシュタインの「相対性原理」も、こういう意味、即ち「自分が動いたのか相手が動いたのか区別がつかない」という相対性についての理論である)
話が逸れてしまった。中盤で、歴史学の科学としての存立基盤を揺るがす概念が登場する。「構造主義」である。こいつはやっかいな代物だ。以前レビューを書いた「新しい科学論」でもよく似た議論が登場するが、要するに、客観的な事実なんて存在しない、という言説である。はっきり言って、何も生み出さない、机上の空論の最たるもの、議論のための議論(の道具)でしかないように俺には思われるので、こういうことを言う奴の相手はしないに限ると思うのだが、歴史学は即ちいわゆる人文系であるためか、そういう「華麗にスルー」することができないようだ。ご苦労様である。
結局のところ、「歴史学は科学である」かどうかについては、例によって当たり前の結論に落ち着くのであるが、それよりも、歴史学が何をしようとしているのか、ということが少しわかったような気がする。また非常に多くの参考文献を引き、事例を紹介しているのが特長であるが、あとがきによれば、それを通じて分かりやすくするだけでなく、「歴史学の入門書」にしたかった(読んでおくべき本を紹介したかった)そうで、その目論見は大成功、と思われた。