「科学で地域活性化」と内部マーケティング

(例によって脳内整理のエントリのため雑文失礼>読者諸兄姉)

内部マーケティング

サービス企業が行うマーケティング(サービス・マーケティング)の一種に、内部マーケティングがある。
内部マーケティングとは、サービス企業が自社の従業員、とりわけ接客担当者を対象としてマーケティングに相当する努力を行うことである。「職務の素晴らしさ」という「商品」を、会社自体が、自分のところの従業員を「顧客」に見立てて売り込むのである。
消費者が通常のマーケティングによって「製品の熱烈ファン」になるのと同じように、従業員が内部マーケティングによって「自社製品(つまりサービス)の熱烈ファン」になれば、彼/彼女の提供するサービスの品質は向上すること請け合いである。
内部に対してマーケティングを行うことで、外部に対する価値の提供を司る人材の価値を高めて「サービスという商品の品質管理」するというマーケティングになっているわけだ。

観光への内部マーケティングの応用

観光の「商品」がサービスである以上、そのマーケティング手法はサービス・マーケティングに似ているであろう。
観光における品質管理を考える上で、「従業員」とは誰か?「まち」の価値、単純に言えば「街の印象」を本質的に司るのは地域住民である。従って、内部マーケティングの対象は住民なのである。
これは容易ではない!
利益が直接見えやすい企業の従業員と違って、地域住民は、その地域へ観光客が来ることによって直接経済的な利益を得るとは限らないどころか、逆に迷惑と思っていることさえある。観光が盛んになっても「みやげ屋と旅行会社が得するだけやん」としか思っていないかもしれない。
しかしこれも脳内のタイムスケールの問題である。即ち観光が本来持つ地域への貢献のサイクル:

  1. 観光客が来る
  2. いい印象を持ってもらう
  3. 体験談の口コミが蓄積する
  4. 当該地域の評価が上がる
  5. 「利益」につながる
    • 直接的利益:そこに住んでいることがステータスになる(観光客にも親しみや敬意を持って接してもらえる)
    • 間接的利益:その地域の生産物の評価も上がる
  6. だから、観光客も来る(始めに戻る)

の持つタイムスケールは、普通に生活していて「得した」と思えるタイムスケールよりだいぶ長い。
このタイムスケールと意義を理解してもらえるように、目標を的確に示し、「観光客の視線を媒介して地域の評価を高める」ことを根付かせる長期的な地域住民向け戦略が必要になる。
企業だけでなく自治体が主体になって、地域住民を対象にした内部マーケティングによって、地域全体の魅力を向上させ、地域全体の活性化を推進するのが観光マーケティングである。
※だから、観光施設・関連産業など個々の営利的観光対象が行う努力(マーケティング)が前面に出る状態は、好ましくないのかもしれない。
※しかし自治体はカネやノウハウに欠けるので、関連企業からの様々な形での支援が必要である。

「科学で地域活性化」への応用

この観光マーケティングの考え方を「科学をネタに地域活性化」というお題に適用するとどうなるか。
地域が「活性化できた状態」という目標をどう設定するか、というのはこれまた難しいお題なのでそれは一旦棚上げするとして。
「科学」が地域にプラスに寄与するとき、どのような形態があり得るか?
まず、「科学そのものが寄与する場合」。科学という「知」そのものが貢献する場合である。動物園や水族館、科学館や公開天文台、あるいは講演会やサイエンス・ショー、万国博覧会、企業によるSIT(Special Interest Tour)といったイベント等々が考えられる。そこで提供されるモノ・コトは「科学コンテンツ」とでも呼ぶべきものだろう。
もう一つのパターンは、事業仕分けで科学技術予算がバッサリやられたことに関しての岐阜県知事のコメントと付随する記事が端的に表している。

 経済産業省出身の古田肇・岐阜県知事は「(科学技術予算の)廃止は非常にショック。地域、地場産業の活性化につながっている」。地方にとっては、科学技術の看板が企業や工場誘致につながり、雇用確保や税収増と結びつく。官邸の大ホールはさながら陳情の場となった。

即ち、科学が導く技術 and/or 技術がドライブする科学によって生み出されるものが地域に貢献するパターンだ。これを「科学プロダクツ」と呼ぼう。
このように、大きく分けて、地域が対外的に打ち出せる「科学的な価値」は、科学コンテンツと科学プロダクツの2種類があると考えられる。
観光における内部マーケティングでは、地域住民に対し、地域そのものを理解し、その良さを顧客に提供することがいかに素晴らしいかを理解してもらうことが、「職務」を理解するということであった。では「科学で地域活性化」については、「従業員」を地域住民と見立てたとき、何が理解すべき「職務」になるのだろうか?
「商品」が「科学プロダクツ」と「科学コンテンツ」であるから、地域住民が理解すべきは、これらの持つ意義、価値と、それを買い手に対して直接・間接に伝え、提供することなのではないだろうか。
地場産業だけでなく、地域に外から入ってきた工場であっても、まず理解することが必要である。地域住民は科学プロダクツを理解する努力、企業は自社の科学プロダクツを理解してもらえるような努力をする。両方が揃って初めてその科学プロダクツは「○○のまち」として地域に根付く。逆の場合、無理解が無用な反対運動を呼び、無用な反対運動が企業の隠蔽工作を呼び、企業の隠蔽工作は地域に負の影響を及ぼす。
科学コンテンツも同様である。自然の造形であったり、かつての工業発展史が見られる遺産(銀山や炭坑、明治〜大正期の工場跡など)であったり、一過性の科学イベントであったり、様々な形態が考えられるが、まずは地域住民が知らなくてはならない。「なんかよく知らんけどあるらしいよ」と無関心では、その科学コンテンツは誰にも知られぬまま埋もれて行く。まずは地域住民の関心を掘り起こし、動員しなければ、他地域からの客は来ない。この辺りは観光とほぼ同様であろう。ただし、科学コンテンツに関して重要なのは、科学プロダクツと異なり、買い手がカネを払うのはサービス同様の無形財たる「知」であるということだ。「サービス」同様に、「知」だけでは何も生み出さない。買っても物質的・経済的に何の役にも立たない。あくまでも内的な価値すなわち「経験」しか残らない。
そして決定的に重要なのは、身体や感覚で価値を理解しやすい「サービス」と異なり、「知」の価値を理解するにはそれ相応の「知」を持たねばならないということだ。この壁は高い。ともすれば「お勉強」になってしまう。「勉強」はつらい行為である。そこの壁を少しでも低くするのが科学コミュニケーション‥‥なのか???