観客参加をミスディレクションにするのはズルい?

自分で何か「作品」らしきものを作ろうとするときや、過去の「名作」の自分なりの演技にしようとするときなど、「実行手順」を考えるときに思うのだが、観客に手伝ってもらうことをミスディレクションに使うのってやっぱりできれば避けたい。
特にカードやコインなどを改めて下さいっちゅうやつは、なんていうか発想がズルいというか、動機が不純だよな、と思う。「あれは何だ!」って空中を指差すのと大差ない。
もし観客の参加がミスディレクションになるような手順であるなら、例えばDavid Williamson師の「メモリー・テスト」のように、それが手順の中で本質的かつ必然的な手順を作り出したい。