やる側に回ってダメなこと

音楽についてのたいていのことは、聞くだけよりも、やる側に回ったほうが、楽しい。
プレーヤーとして練習する時や、スランプの時、あるいは作・編曲する時などは、苦しいけれど、その後にある楽しさを糧に乗り越えるものだ。
だが、音楽をやる側にまわってダメなことが一つある。好きな曲を本番でやれた/やったときを境に、好きな曲が聞けなくなってしまうことだ。
本番で、リハーサル/練習より良くできることは殆どない。まずあり得ない。必ず思わぬ失敗がある。
たいていはやりながら気づく。で、打ち上げなどで凹む(ちなみにその凹み+疲れで、今までのほとんど全てのコンサート/ライブの打ち上げでは殆ど何も喉を通らなかった)。
たまには気づかず「そこそこできたんちゃうか?」と思って録音を聞くと、いろんなことに「は?何これ?」と気づき、やりながらなぜ気づかなかったのかこのバカ!という思いが重なって余計に凹む。
そしてこのダメージは、好きな曲の時こそ大きい。これは、本当に悲しい。
自分のパフォーマンスではなく本物のほうのCDなんかを聞いても、あれだけ何度も飽きずに聞いていた愛してやまないあの曲が、辛く思い出したくもない記憶を鮮明に呼び覚ますのだ。
今まで演奏してきた「本番」の録音やビデオは、一つとして再び聞こうとは思えない。ほぼ全て、思い出しただけで凹んでくる。
だったらやらなきゃいいのに、と自分でも思う。でもやめられないのが、音楽の不思議なところだ。ほんま、こんな凹むことばっかりやのに、なんで続けてんのやろ(笑)