カードを当てるという行為


観客がいきなりカードを一枚抜き取って隠し、『これを当ててみろ』と強要する
といった話は、ひと前で手品を演じたことがあれば大抵の人には経験があるだろう。『カードマジック入門事典』の序論の『ケーススタディ』の何番目かの例に挙げられてもいるし、ここで対策とか心構えとかを云々するつもりはない。小文で言いたいのは、実は本当に観客が望んでいるのはそういうことなのである、という一面があるのではないかということだ。
もちろん上に挙げたような状況は、当てられない演者の困った姿が見たい、という欲求から来ていることはほぼ間違いないのであるが、でも逆に言えば「これができたらマジすごいよなー」と思ってるからこそ、この無理難題が選ばれるのではないかと。無理難題を強要するなら他のお題もたくさんあるんだし。そして「これを当ててみろ」という人が多いということは、多くの人の共通のプロブレムなのではないかと。

ということは、だ。

『観客が任意に特定したカード』を『当てる』という演目では、『何もしないまま当てる』のが客の思い描く理想の形であって、カードを『引いて』『戻して』『混ぜて』などといった行為も不要、ましてや表裏バラバラに混ぜたりなんていう『あれもこれも起こった挙げ句に当たる』ってのは見ていてうっとおしくて仕方が無いんではないかと。豪華な現象が見たい客は本当はいなくて豪華な現象を見せたい手品人がいるだけなんじゃないのかと。少なくともその場で手品を(いくつか)見て、観客の脳が手品ノリについてこれるようになり且つそれが好意的である状態になってからじゃないと『カード当ての付加現象』は見たいと思わないんじゃないかと。

ひょっとすると『カード隠して当ててみろと強要』する人は(みんな経験あるだろうけど)意外に少ないのかもしれない。しかし、「カードを選んで下さい」と言った瞬間、いやトランプを出してきた瞬間に(こちらにカード当てをやるつもりがなくても)、『どうせ何引いても当たるんやろ』と言う(ボヤく)人はかなり多い。受けスジ代表で多くの人がレパートリーにしており且つ実際に受けているかに見えるリアクションが多いトライアンフですら、本当は受け入れられておらず内心は「そんなん要らんからさっさと当てろよ」と思われていることが多いのではなかろうか。

以前の記事で『今年はカード当てを2つモノにしたい』と書いたのは、理想のカード当てとしての『これ以上無いほどシンプルなやつ』と、もしニーズがあればやってみようかという『付加現象のあるハデなやつ』の2つをモノにしたいなー、という意味なのであった。