自分の考えをはっきり主張するということ

1990年代くらいからだろうか、そういう意味での自己表現は良いことであるという風潮が噴出してきて、今ではすっかりおなじみになった。企業の新人研修ではディベートをやらされたりするそうだ。

本当にそれはいいことなのかなぁ、とものすごく疑問を抱いている。要するに、『ここは日本だ。それをやりたければアメリカに行け』ということだ。

はっきり主張することが良いこととされるのは、アメリカ文化である。アメリカでは、いわば人種のるつぼ、多国籍の国(←変なことばだが)だから、『以心伝心』の基礎になるべきものが無いのだ。だからこそ、『誤解の無いように』はっきり伝えなければならなかったのだ。必要にせまられてのことなのだ。

では日本はどうか。日本古来の美徳『沈黙は金』『以心伝心』では通らないほど、現代日本は、個々人の『礎』はバラバラになっているだろうか。

『おもいやり』ということばがある。漢字で書けば、『思い遣り』だ。相手が何を感じ、何を考え、何を言わんとし、何をしようとしているのか、それらを理解しようと、相手へ(自分の)『思い』を『遣わす』行為である、と私は理解している。

つまり、もし日本の伝統の『以心伝心』が通用しない、というのならば、少なくともそう言って憚らない人は、自ら「私には『思い遣り』の気持ちがありません」と言っているようなものなのだ。

よく観察してみるといい。自己主張が大切だ、言いたいことははっきり言えなどと言う人に限って、他人の言うことを全然聞いてない(聞かない)から。


みんなもっと心のつながりを大切にしようよ。