雑誌『Happy マジシャンvol.2』(桃園書房、2005)

っていうか第2号が出版されたよ。びっくり。
で、買ってみた。載ってるネタや解説に、「おいおいそれ載せていいのかよ」っていうのがいくつかあったけど(DLはマズイっしょ!?)、まあ、いずれ書かざるを得ないことがらのような気もする。せめて袋綴にすればいいのに、と思うが。

それより気になったのが、超能力者vsマジシャンの歴史というかエピソード集だ。これは本格的にまずいだろう。著者はどうやら超能力者が嫌いで嫌いで仕方ないらしく、あらんかぎりの罵詈雑言を以て、過去に跳梁跋扈した「自称・超能力者」たちを徹底的にこきおろしている。

しかし、少なくとも2つの大きな過ちを犯している。

まず一つは、超能力者の敵はマジシャンであった、これは間違いない。では、マジシャンの敵は超能力者だっただろうか。むしろ、超能力者vsマジシャンの構図の歴史の中で、メンタルマジックの粋を盗み続けてきたのはマジシャンであって、超能力者がマジシャンの秘密を盗んだのではない(このあたりのことは、松田道弘師の著書に詳しいので御参照あれ)。

全体的な筆致として、マジシャンの勝利の歴史を謳っているように見えるが、(これは松田師の著書で指摘されていたことだが)実際には、マジシャンが超能力者の秘密を暴き「インチキだ」と証明したところで、一般大衆は喜ばなかったのである。

2つ目は、マジシャンの視点から見て、超能力者の演ずるネタが、「あまりに下らないタネに頼っていた」と断ずる論調そのものにある。このコーナーの著者は、メンタルマジックを知らないのではないか、とコラム執筆者としての見識を疑わざるを得ない。
メンタルマジックは、スライハンドマジックと対極的な演目である。メンタルマジックを演出する上で、ある意味最も重要ポイントは、「如何に技法の気配を消すか」という点にある。逆に言えば、大多数のメンタルマジックに於いては「タネ」「仕掛け」そのものに大きく依存するのが通例なのである。そしてその「タネ」「仕掛け」は、単純であればあるほど優秀なマジックである、というのはメンタルに限らず一般的に通用する命題と言えよう。従って、「優秀なメンタルマジック」とは、基本的に「聞いてしまえば下らない、ほんのささいな原理に全面的に寄りかかったマジック」なのである。この点について、この著者は何と言うつもりなのだろうか。

そしてこのことはさらに悪い結果をもたらす。これを立ち読みした「非マジシャン」はどう思うだろうか?
非現実的な現象を人為的に発生させることについては、超能力者にせよマジシャンにせよ、違いはない。「非マジシャン」にとっては、はっきり言っておんなじものを見せられたと感じるだろう。その「結局わけのわからない現象」に対し、「インチキ」だの「タネは下らない」だの何だのと侮蔑の表現を投げつけることは、マジックとしての「不思議現象」に対しても同様の印象を「非マジシャン」に植え付けかねない、ということに、なぜ気がつかないのだろうか。

マジシャンから見て「下らない」ように見えるのは「タネ」「仕掛け」ではなく「演技」「演出」のはずである。

その「下らないタネ」、百歩譲って「下らない演技」の持つ「説得力」に、多くの信者が集まったという厳然たる事実に、この著者はどう反駁できるのか。

そうなのだ。「自称・超能力者」たちは、メンタルマジシャンとしては、とても優秀だったのだ。‥‥ただ、「ありもしない超能力を標榜する」という非道義的なことさえしなければ。

私の本業は科学者である。科学が大好きである。「自称・超能力者」や「自称・霊媒」「自称・気功術師」などの「超自然的な能力」「科学では解明できない現象」を根絶することも当然使命であると思っている。その意味で、超能力者を批判することには大賛成である。が、この記事に対しては、一人のマジシャンとして、強く異議を唱えたいと思う。


ま、小さな過ちとしては‥‥「超能力者Y」と書いてある記事、その人、頭文字「U」だと思うよ(笑)