「放射線と被曝」に関する知識の受容

高名な宇宙物理学の先生と酒席をご一緒することがあった。宴席の終盤になり、話題が福島の甲状腺癌の話になり、何だか雰囲気が悪くなりそうな流れになったので、僕はさらっと「まぁあれはスクリーニング効果って話になってますね」と話題を流そうとした。するとその先生は、

「まぁ、そう言ってるけどね、いやぁ、きっと何かあると思うんだよね」

もはや科学者の言葉ではない。一時代を築いた大科学者をしてこの発言である。

別の話だが、低線量被曝について、僕が「病気を引き起こすものの中でも、これほど『わかっている』ものもないんじゃないかというくらいいろいろな知見がある」*1(専門的な勉強を積んだ立場で)言っているのに、

「でも低線量被曝の検証実験って無いんでしょ?じゃあわからないじゃん」

の一点張りの先生も見た。

つまり、放射線と被曝というものは、科学の訓練を充分に積んだはずの先生方ですら「何が起こるかわからない」と思わせる存在である、ということだ。

これはもはや、放射線を人々がどのように受容、理解、認識してきたのか、認識しているのか、の問題なのだろう。

*1:詳しくは『放射線被曝の理科・社会』を参照のこと。反原発の闘士みたいな研究者3人が、雁屋哲の鼻血話などの「反原発デマ屋」が流すデマを一つ一つメッタ斬りしている本である。